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映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』〜終わることのない追究

 ドイツの芸術家アンゼルム・キーファードキュメンタリー映画。監督は『Perfect days』のヴィム・ヴェンダースである。

【アートのアート】

 アンゼルム・キーファーは、戦後ドイツを代表する画家とのこと(この映画で初めて知った)。

 ドイツの歴史、ナチス、大戦、リヒャルト・ワーグナーギリシャ神話、聖書、カバラなどを題材にした作品を、下地に砂、藁(わら)、鉛などを混ぜた、巨大な画面に描き出すのが特色である。*1

 現在79歳。作品には、本人が登場している。すごく元気である。フランス郊外に工場のような巨大なアトリエを構えていて、縦横数メートルもある巨大な絵画をガンガン描いている。

 作品では、現在のアンゼルムの製作ぶりなどを中心にして、過去の映像や再現シーンなどもおり混ぜ、アンゼルムの生涯や作品を紹介している。

 子どもの頃のアンゼルムは、ヴェンダース監督の甥の男の子、若い頃のアンゼルムは、アンゼルムの息子が演じている。最後に、子ども時代のアンゼルムが、現在のアンゼルムと邂逅するシーンがあるが、基本的にはドキュメンタリーである。

 もっとも、アンゼルムの作品である首のない女神像たちがささやきあったり、歌を歌ったり、詩を朗読するシーンなどもあり、芸術作品を紹介するだけでなく、映画自体が芸術にまで高められている。いわは、メタアートである。

【アンゼルム】

 アンゼルムは、1945年の生まれ。つまり、終戦の年である。アンゼルム自身は、戦争を体験していないが、戦後の廃墟や瓦礫の中で育った。幼いころは、ギリシア神話や古代ドイツ英雄物語にも慣れ親しんだようだ。若い頃は、ゴッホに傾倒したようで、奨学金を貰ってゴッホの作品を巡る旅をして、そのときの作品が何かの賞を受賞している。才能のある若者だったのである。

 二十代後半頃、各地でナチスドイツ式の敬礼をして写真を撮影して、公開する。ナチスが利用していたとして、ドイツでは封印されていたドイツの古代の英雄の肖像画を描いたりもする。このため、ネオナチのように受け取られて警戒される。アンゼルムは、戦争の記憶に蓋をしたままの社会に抗議をしようとしたのだった。

 このように社会に挑戦的な作風はヨーロッパでは批判されるが、アメリカでは評価されて、有名になる。

 最初の頃は、アンゼルムは山奥の古い家で制作をしていたが、売れるようになり、古い工場を買い取って、そこで制作を始める。モチーフは、戦争や廃墟、古代の神話、哲学(ハイデガー)、文学(パウル・ツェランの詩)、ひまわり(ゴッホ)などなど。

 アンゼルムは、79歳になった今でも、精力的に作品を作り続けている。巨大な工場のようなアトリエは圧巻である。アンゼルムは、自転車で鼻歌まじりに、アトリエ内を巡回し、絵画やオブジェを見て回ったり、本を読んだりして思索にふける。

 制作の場面は、クレーンが出てきて、溶かした鉛を巨大にキャンバスにぶちまけたり、藁をバーナーで燃やしては水を掛けたり。そうやって作った巨大なキャンバスに向かって、リフトに乗り、叩きつけるように絵具を塗り込んでいく。もちろん助手はいるが、基本的にはアンゼルム一人で制作している模様である。一人の人間がこれだけの物を作り上げることができることに驚く。小さな蟻が巨大な蟻塚を作り上げるさまを連想する。

 芸術家も老年になれば達観して、わびさびの世界に行くのが普通だと思うが、アンゼルムの場合は、むしろアクセルを踏み込んでいるように見える。もっとも、達観している部分もあるようで、「存在の耐えられない軽さ」と壁に書いて、「人間の存在など、雨粒一つにも満たない。存在は無の一部である。」などとも語る。

 アンゼルムをここまでさせるのは何だろうか?

 一つには、ナチズムがある。アンゼルムは、なぜドイツにあのようなことが起こったのかを追究する。戦争世代が沈黙を守る中で、戦後世代であるからできるのだと言う。アンゼルムは、歴史学者がするように社会経済等の動きから理解するのではなく、人の心を深く掘り下げ、古代の神話や英雄物語、詩人の言葉を頼りに理解しようとする。ドイツの精神科医・心理学者カール・グスタフユングは、深層心理の中の元型という概念を提唱して、人や社会は、人類共通の記憶の中にある元型に影響を受け、それは神話や古い物語に表れていると唱えた(と思う)が、ドイツにはそういう伝統があるのだろうか。

 アンゼルムは、繰り返し、廃墟や戦争を描き、表現する。これは、幼児期にトラウマを受けた子どもが、そのことを繰り返し遊びの中で表現することを連想させる。アンゼルムは、ドイツが受けたトラウマを一人で引き受けているかのようである。また、首のない女性像を作り続けるように、人類の歴史の中で抑圧された女性の言葉を引き出そうともしている。「傷ついたせいかの芸術家」たるゆえんである。

 テーマが大きすぎて、やればやるほど深みにはまっていく。だから、止めることができない。やらざるを得ないのである。

 

『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』

 ★★★★

 

 

 

*1:ウィキペディアの記事より