晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

観た映画、読んだ本、訪れた場所などの記録

映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』〜終わることのない追究

 ドイツの芸術家アンゼルム・キーファードキュメンタリー映画。監督は『Perfect days』のヴィム・ヴェンダースである。

【アートのアート】

 アンゼルム・キーファーは、戦後ドイツを代表する画家とのこと(この映画で初めて知った)。

 ドイツの歴史、ナチス、大戦、リヒャルト・ワーグナーギリシャ神話、聖書、カバラなどを題材にした作品を、下地に砂、藁(わら)、鉛などを混ぜた、巨大な画面に描き出すのが特色である。*1

 現在79歳。作品には、本人が登場している。すごく元気である。フランス郊外に工場のような巨大なアトリエを構えていて、縦横数メートルもある巨大な絵画をガンガン描いている。

 作品では、現在のアンゼルムの製作ぶりなどを中心にして、過去の映像や再現シーンなどもおり混ぜ、アンゼルムの生涯や作品を紹介している。

 子どもの頃のアンゼルムは、ヴェンダース監督の甥の男の子、若い頃のアンゼルムは、アンゼルムの息子が演じている。最後に、子ども時代のアンゼルムが、現在のアンゼルムと邂逅するシーンがあるが、基本的にはドキュメンタリーである。

 もっとも、アンゼルムの作品である首のない女神像たちがささやきあったり、歌を歌ったり、詩を朗読するシーンなどもあり、芸術作品を紹介するだけでなく、映画自体が芸術にまで高められている。いわは、メタアートである。

【アンゼルム】

 アンゼルムは、1945年の生まれ。つまり、終戦の年である。アンゼルム自身は、戦争を体験していないが、戦後の廃墟や瓦礫の中で育った。幼いころは、ギリシア神話や古代ドイツ英雄物語にも慣れ親しんだようだ。若い頃は、ゴッホに傾倒したようで、奨学金を貰ってゴッホの作品を巡る旅をして、そのときの作品が何かの賞を受賞している。才能のある若者だったのである。

 二十代後半頃、各地でナチスドイツ式の敬礼をして写真を撮影して、公開する。ナチスが利用していたとして、ドイツでは封印されていたドイツの古代の英雄の肖像画を描いたりもする。このため、ネオナチのように受け取られて警戒される。アンゼルムは、戦争の記憶に蓋をしたままの社会に抗議をしようとしたのだった。

 このように社会に挑戦的な作風はヨーロッパでは批判されるが、アメリカでは評価されて、有名になる。

 最初の頃は、アンゼルムは山奥の古い家で制作をしていたが、売れるようになり、古い工場を買い取って、そこで制作を始める。モチーフは、戦争や廃墟、古代の神話、哲学(ハイデガー)、文学(パウル・ツェランの詩)、ひまわり(ゴッホ)などなど。

 アンゼルムは、79歳になった今でも、精力的に作品を作り続けている。巨大な工場のようなアトリエは圧巻である。アンゼルムは、自転車で鼻歌まじりに、アトリエ内を巡回し、絵画やオブジェを見て回ったり、本を読んだりして思索にふける。

 制作の場面は、クレーンが出てきて、溶かした鉛を巨大にキャンバスにぶちまけたり、藁をバーナーで燃やしては水を掛けたり。そうやって作った巨大なキャンバスに向かって、リフトに乗り、叩きつけるように絵具を塗り込んでいく。もちろん助手はいるが、基本的にはアンゼルム一人で制作している模様である。一人の人間がこれだけの物を作り上げることができることに驚く。小さな蟻が巨大な蟻塚を作り上げるさまを連想する。

 芸術家も老年になれば達観して、わびさびの世界に行くのが普通だと思うが、アンゼルムの場合は、むしろアクセルを踏み込んでいるように見える。もっとも、達観している部分もあるようで、「存在の耐えられない軽さ」と壁に書いて、「人間の存在など、雨粒一つにも満たない。存在は無の一部である。」などとも語る。

 アンゼルムをここまでさせるのは何だろうか?

 一つには、ナチズムがある。アンゼルムは、なぜドイツにあのようなことが起こったのかを追究する。戦争世代が沈黙を守る中で、戦後世代であるからできるのだと言う。アンゼルムは、歴史学者がするように社会経済等の動きから理解するのではなく、人の心を深く掘り下げ、古代の神話や英雄物語、詩人の言葉を頼りに理解しようとする。ドイツの精神科医・心理学者カール・グスタフユングは、深層心理の中の元型という概念を提唱して、人や社会は、人類共通の記憶の中にある元型に影響を受け、それは神話や古い物語に表れていると唱えた(と思う)が、ドイツにはそういう伝統があるのだろうか。

 アンゼルムは、繰り返し、廃墟や戦争を描き、表現する。これは、幼児期にトラウマを受けた子どもが、そのことを繰り返し遊びの中で表現することを連想される。アンゼルムは、ドイツが受けたトラウマを一人で引き受けているかのようである。また、首のない女性像を作り続けるように、人類の歴史の中で抑圧された女性の言葉を引き出そうともしている。「傷ついたせいかの芸術家」たるゆえんである。

 テーマが大きすぎて、やればやるほど深みにはまっていく。だから、止めることができない。やらざるを得ないのである。

 

『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』

 ★★★★

 

 

 

*1:ウィキペディアの記事より

『彼岸過迄』〜中途半端な探偵と優柔不断な男

 寝しなに『彼岸過迄』を読んだ。一月くらいかかった。

彼岸過迄

 このタイトルはカッコ良いのだが、実は内容とは無関係。大病から復帰した漱石が、新聞小説を連載するにあたり、彼岸過ぎまでには終わらせると言ったことが、小説のタイトルになった。

 まえがきで漱石は「自分は何派でもないが、面白い小説を書きます」というようなことを述べている。また、大体の素案はあるが、書いてみないとどういう方向に進むかも分からない、とも書いている。

【中途半端な探偵】

 例によって、主人公は無職でぶらぶらしている敬太郎という若い男である。村上春樹の小説でもたいてい主人公は無職の暇な男であるが、そういう世間から外れた、ぽっかりあいた空間に、物語は生まれるのかもしれない。

 さて、敬太郎は東京の大学を出て、一応求職中である。とはいえ、切羽詰まった感じはなく、何か面白そうな仕事はないかなと思いながら、ぶらぶらしている。実は、ロマンチストで、冒険をしたり、探偵をするような仕事に憧れている。しかも、占いを信じたりしている。このように、敬太郎は凡庸な、考えの浅い男である。

 敬太郎はまず、同じ下宿に住む森本という男に接近する。森本は、役所勤めだと言い、国鉄の整備員のようなことをしているようだが、真面目に働いている様子はない。自分は色々な冒険をしてきたのだと吹聴し、敬太郎も真に受ける。ところが、ある日、森本は下宿代を踏み倒して姿を消し、敬太郎の手元には森本が残していった杖が残される。それは、森本の手製の蛇の頭の彫刻のついた変なものであった。

 冒険の夢からやや覚めた敬太郎は、やはり就職しなくてはと、大学の同級生の須永という友人に相談する。須永も大学を出て、こちらは成績優秀なのでいくらでも就職先はあるのだが、ぐずぐずと先延ばしにしている。お馴染みの高等遊民である。敬太郎は、須永に、なんか探偵みたいな仕事がしたいんだけど、などと話す。

 敬太郎は、須永の紹介で、須永の叔父の田口を紹介される。田口は実業家で、世間知に長けた現実的な男である。

 多忙な田口にやっと面談できた敬太郎は、家の用事でも何でもやります使ってください、と下手に出る。後日、敬太郎の元に届いた手紙には、ある日時に電停から降りてくるある人物を尾行して、その動静を報告せよ、と書かれていた。

【尾行】

 例の杖を持って、敬太郎が現場に行ってみると電停のホームは二箇所あり、どちらを見張ればいいのか分からない。気になる女性を見かけたりして、雑念が次々と起こる。その内、指定された時間帯を超えてしまい、見逃したかなと思ったりする。諦めかけたとき、田口から聞いていた風体の男が現れ、さっきから気にしていた女性と楽しげに連れ立って行くではないか。敬太郎は追跡を開始する。

 二人が入ったのは、とある西洋料理店であった。この店には敬太郎も入ったこともあり、手持ちの金で何とかなりそうだ。敬太郎は、二人に近い席に陣取り、会話に聞き耳を立てる。しかし、二人は楽しそうに談笑しているだけで、会話の内容は、よく分からない。

 敬太郎は、二人に気づかれないように先に出て、雨の中、男の後を跡けるが、何も得るところなく、ただ疲れて引き揚げる。(このあたり、素人が尾行などしても、苦労ばかりでうまくいかないとことが、リアルに書かれていて、面白い。漱石も似たような経験があったのだろうか)

   さて、敬太郎は、田口に報告する段になり、正直に経過を説明して「結局は何もわかりませんでした」と告白する。そして、「その人のことを知りたいなら、尾行などするよりも、直接尋ねた方が早いと思います」と開き直る。

 すると田口は「あなたはそれだけのことが分かっているなら、人間として立派なものだ」と言って褒め、敬太郎は就職することができるのである。

 種明かしをすると、敬太郎が尾行をしたのは、田口の義理の弟の松本という男で、松本が会っていた女性は、田口の長女の千代子だった。敬太郎は、田口のいたずらに付き合わされたのである。

【優柔不断な男】

 探偵の物語は、これで終わる。後半は敬太郎の友人の須永の恋愛譚が中心となる。一応、関係者が敬太郎に語るという形で小説は進行するが、敬太郎が探偵をしているわけではない。

 須永には、昔からの許嫁がいる。田口の長女の千代子である。千代子が幼い頃に、須永の母と田口が、千代子を須永の嫁にすると約束したらしい。そのせいか、千代子はよく遊びに来ていたし、須永と千代子は幼馴染として育った。

 なお、須永の父は他界しており、須永は母と二人暮らしである。須永は母が好きで、ちょっとマザコン気味である。

 さて、許嫁の二人は長じるにつれて、性格の違いが際立ってくる。明るく無邪気で率直な千代子に対して、須永は頭は良いが、内向的でウジウジと思い悩むタイプなのである。須永は、千代子に惹かれながらも、自分と結婚しても千代子を失望させるだけだなどと考えて、なんとなく破談に持ち込もうとする。千代子は須永を好きなようだが、須永からは見下されているように感じている。

 千代子一家が鎌倉に海水浴に行くことになり、須永親子も招待される。重い腰を上げて参加した須永だが、そこには高木という若い男が来ているのを知り機嫌を損ねる。高木は、英国帰りの紳士で、溌剌としたスポーツマンという、須永と真逆の人物なのであった。これは須永のコンプレックスをいたく刺激した。

 みんなで泳ぎに行こうと言っても、須永は行かないと言うし、船遊びに行ったときには、千代子に高木の横に座るように勧めたりする。要するに、須永は嫉妬しているのであるが、それが屈折した形で出てくるのである。須永は、千代子と結婚をするつもりはないと思っていたはずなのに、高木が現れると嫉妬心に囚われてしまうことに驚き、自分自身が分からなくなって、ぐるぐる悩み始める(そんなに悩まなくてもいいのでは、と言いたくなるくらい悩む)。

 鎌倉から帰った千代子は須永の家に遊びに来る。須永は、千代子と高木がどうなったか気になって仕方がないが、プライドが邪魔して尋ねられない。しかし、千代子が帰る間際になってつい気が緩み、須永は高木のことを尋ねる。そして千代子から、「嫉妬するなんて、あなたは卑怯です」と言われてしまう(このあたりのやり取りはなかなかスリリングである)。

 その後、須永は松本に悩みを告白し、松本から自分の出生の秘密を知らされた須永は、一人旅に出るのであった。

【締めくくり】

 このように前半は素人探偵の失敗談で、考えの浅い若者が、謎の指示を受けて翻弄されるというユーモラスな話なのだが、後半は自意識過剰な男が人生や恋愛関係に悩むという真面目な話になっている。最後に作者は、エピローグとして、「結局のところ、敬太郎は就職はできたものの、ただ人の話を聞いたばかりで、彼らの人生に入り込むことはなかった。まあ、それはそれで幸せなんだけどね」などと無理やり締めくくっているが、どうみても前半と後半は別の話である。おそらく、「世の中の探偵」みたいな感じて、ある若者を泳がせてみると面白いだろうと書き始めたところ、何だか深刻なテーマが出てきて、その方に話が進んでいったといったところではなかろうか。漱石も最初に、話がどうなるかは分からない、と書いているが、その通りになっている。そういう意味で、完璧な作品ではないだろうが、自然発生的(spontaneous)な感じがあり、面白く読んだ。

 漱石は、探偵という職業に関心が高いようで、『吾輩は猫である』にも探偵の話が出てくる(ここでは、探偵はスリ、泥棒、強盗の一族だとけなしている)。同作の猫は、小説の中の探偵役であるともいえる。また、『三四郎』は、田舎出の素朴な若者三四郎が、東京で見聞きした人間模様を描いたものだが、本作の敬太郎も同じような立ち位置にある。

 なお、須永のキャラは、次作の『行人』の一郎に引き継がれていく。

 

 

 

 

  

 

映画「関心領域」〜適度な関心領域とは?

【あらまし】

 アウシュビッツ収容の司令官ルドルフ・フェルディナント・ヘスとその一家の話。実話に基づく。なお、ナチス副総裁のヘスとは、別人物である。

 ヘス一家は、収容所の隣に広大な屋敷を構えている。広い庭園があり、花や野菜を育て、プールや温室まで完備。夫婦には5人の子どもがいて、すくすく育っている。休日には、湖で水遊び。夫の誕生日には、サプライズでボートをプレゼント。絵に描いたような幸せな生活である。

 しかし、妻が身に付けている毛皮のコートや宝石はユダヤ人から没収したもの。夫は、いかに効率的に「荷物」を焼却するかに腐心している。収容所の空は、夜な夜な赤く燃え上がり、悲鳴がこだまする。

 やがて夫は昇進し、転属を命じられる。妻は、転居を拒否。夫は単身赴任で新しい任地へ。夫は、新しい処分方法を思いつき、もうすぐアウシュビッツに戻れると、嬉しそうに妻に電話をする。

【関心領域】

 ナチスでは、隠語をよく使っていたようで、「関心領域」というのは、東方支配地域を指すのだとか。

 そして、このタイトルは、ヘス一家が自分たちの豊かな生活の基盤が、ユダヤ人を焼き殺していることであることに無関心であることも意味しているようだ。

 特に妻は、自分で「アウシュビッツの女王」などと言って、もはや開き直っている。理想の生活を手に入れたと、これを維持することに執着している。

 夫は、出世と家族との生活の両立に悩む。しかし、自分の仕事の内容に悩む様子はない。

 しかし、すぐ隣で収容者を焼く煙が上がっているのだから、見ないふりをするのにも限界がある。

 妻は何となくイライラしているし、夫も身体がおかしくなっている。女の子は、毎晩眠れず廊下でうずくまる。遊びに来た妻の母は、娘の幸運を祝福するが、何も言わずに逃げ帰ってしまう。

 幸福そうに見えて、破綻が見え隠れしているのである。

【とはいうものの】

 映画「オッペンハイマー」でもそうだが、 どこかを麻痺させ、思考停止にならなければ、原爆を作ることや使うことなどできるはずもない(だからオッペンハイマーは、戦後に苦しんだ)。そして、目的のためには思考停止をできてしまうのが、人間というものなのだろう。

 共感性というものは、もともと人間に備わったいるものだろうが、人為的に、あるいは状況的に停止させることもできるようだ。そして、それは普通の人から見れば、「怖しい」と映る。

 とはいうものの、「関心領域」を広げ過ぎると、混乱してしまう。情報過多になって、処理できなくなるのだ。特に昨今はは、放っておくと情報がどんどん入って来るので、フィルターをかけることの方が大事だったりもする。その一方で、最近の人はスマホで自分の気にいる情報だけしか見ないので、関心が偏りがちだとかいう話も聞く。

 人にとっての適度な「関心領域」は、どの辺りであろうか。もともとヒトは、小集団で暮らし、交流したのは生涯でせいぜい300人程度であったという説を聞いたことがある。知り合いを含めて、把握できる範囲はこのくらいであるのかもしれない。

 「関心領域」の一家は極端な例ではあるが、適度な「関心領域」を保つのは、なかなか難しいことであると感じた。

 

「関心領域」

★★

  こういう作品は、観る側に受け取り方を強いるようで、あまり好きではない。告発物なら、ドキュメンタリーで良いのではと思ってしまう。エンディングの音楽は、単調な音階が繰り返されるなか、人の騒ぎ声がキイキイいうようなもので、押し付けがましく、ただ不快であった。

 

 

 

 

映画「ゴースト・トロピック」〜日常の中の聖なる瞬間

【あらまし】

 ベルギーのブリュッセル。掃除婦として働く女性は、仕事を終えて帰途に着く。ところが、地下鉄で寝過ごし、終点まで行ってしまった。もう、帰りの列車はない。仕方なく、歩いて自宅の方に向かう。途中で、ATMでお金を下そうとするが残高不足だったり、せっかく見つけた夜行バスは運行中止になったり。そして、スーパーの警備員と何気ない会話をしたり、寝ている路上生活者を助けたり、車に乗せてくれたコンビニの店員とはお互いの身の上話をする。家にいるはずの娘が夜遊びしているのを見かけ、車から降りて、物陰から様子をうかがう。疲れ果てて帰り、眠りにつく。そして、翌日はいつものように仕事に向かうのだった。

【日常生活の隙間に】

 電車を乗り過ごすといったトラブルは、誰しも経験があるだろう。映画の中では特別なことは何も起きない。

 それは、日常生活の隙間にあるちょっとした落とし穴のようなもの。そういうときは、得てして間の悪いことが起きる。そして、知らない人に助けを求めることになるし、そこで普段は話をすることもない人とのコミュニケーションが生じることもある。そういうときに、親切にしてもらえると嬉しいし、そこで交わした何気ない会話はなぜか心にも残るものだ。

 主人公の女性は、ヒジャブ(🧕)のようなものをかぶっている。ムスリムなのだろうか。裕福とは言えないが、アパートに住み、きちんと室内を整えて、落ち着いた暮らしをしている。夫とは死別し、今は17歳の娘と二人暮らし。娘は青春を謳歌しようとしているところで、母親としては心配事が尽きない。

 女性は助けを求めるばかりではない。疲れ切っているのに、路上生活者を助けたり、そのあとで病院に様子を見に行ったり、路上生活者の飼い犬のことまで心配するなど、とても優しい。女性がヒジャブをかぶっていることもあって、宗教的な雰囲気がある。

 昔読んだトルストイの寓話に、キリストは貧しい人に姿を変えて現れるというのがあったのを思い出した(調べてみたら「愛のあるところに神あり」という話だった)。

 日常の中に空いた落とし穴は、実は、神様と出会う瞬間であったのかもしれない。

 

ゴースト・トロピック

★★★★

「Here」と同じくベルギーのバス・ドゥヴォス監督の作品。日常の一期一会的な瞬間を切り取る作風。16ミリフィルムの映像も優しく、美しい。84分。

 

 

 

伊吹山〜お手軽百名山

 伊吹山に登った。日本百名山の一つである。滋賀県岐阜県にまたがっていて、滋賀県では最高峰である。標高1,337m。

 登ったと言っても、歩いたのは9合目からである。伊吹山ドライブウェイというものがあり、ほとんど車で行けるのである。

伊吹山ドライブウェイ】

 関ヶ原インターを降りて、しばらく走るとドライブウェイの料金所が現れる。係の人がいて、通行料を支払う。現金かクレジットカード払い。3,140円。ちょっと高い。

 ドライブウェイは、うねうねとカーブが続く。全長17キロ。昭和40年に開通したとのこと。よくこんなものを作ったものだと感心する。

 制限速度は30キロ。慎重に走っていると、後続車がたまってくるので、ところどころにある待避所に車を止めて、先に行ってもらう。

 30分ほどで、終点の山頂駐車場に到着。かなり広い(約600台収容)。売店、レストラン、トイレも完備している。トイレは、協力金として100円を支払うよう求められる。

【ハイキングコース】

 9合目から、頂上へのハイキングコースは、3つ。

 ①西登山道コース……山頂まで1,000m。約40分。ゆるやかな登り。初心者向け。

 ➁中央登山道コース……山頂まで500m。約20分。急勾配でほぼ階段。慣れている人向け。

 ③東登山道コース……下り専用。山頂から1,500m。約1時間。

 看板を見て、登りは①のコースを選択。

 ①の登山道は、白い石が敷き詰められていて、ロープが張られ、整備されている。家族連れの人々などが、長い列を作って、登り坂をえっちらおっちら歩いていた。登山の格好をしている人もいるが、クロックスサンダルの人もいる。子どもたちは、駆け上がって、はあはあ言っている。

 向かって右側(西南側)には、琵琶湖が見える。湖の上に浮かんでいるのは、竹生島である。

琵琶湖を望む。浮かんでいるのは竹生島

 歩いているうちに、頂上に着いた。30分くらい。頂上には、売店やトイレ、お堂などがある。売店では、オムライスやビールなども売っていて、幟が立っていた。俗っぽい感じではあった。

 ベンチに座って、持参のおにぎりをほおばる。景色は良い。東側を見ると、遠い山並みが見える。どれがどの山かは分からないが、天気の良い日は日本アルプスも見えるとのこと。それらしき白い山が遠くの方に見えた。

遠い山並み

 伊吹山は、高山植物のメッカとのことである。季節になれば、お花畑になるとのこと。まだ時期が早かったのか、小さな花がちらほら咲いているくらいであった。

 山頂をぐるりと一周する。眼下に関ケ原が見える。滋賀県岐阜県の境目で、養老山地や鈴鹿山脈伊吹山地のはざまで、土地が関所のように狭まっていることが分かる。

新幹線が走っていくのが見える。

関ケ原を見下ろす

 下りは、③の道から。石灰岩が露出している。伊吹山は古い山で、上半分は石灰岩でできている。これは、約3億年前のサンゴの塊である。そのため、石灰岩地帯特有のドリーネやカレンフェルト地形を見ることができる。(以上、伊吹山ドライブウェイのパンフより)

 3億年前に海の底に積もったサンゴが山になっている……なかなか想像しがたい。

 ちなみにドリーネとは、石灰岩が雨水で溶かされて小さく窪んだものであり、カレンフェルトとは、逆に溶け残った石灰岩がぼこぼこと露出しているものとのこと。

石灰岩が露出している。カレンフェルト

 ③の道はやや長く、少し急になっている箇所もあった。途中で、タヌキとシカに出くわした。タヌキは人に慣れているのか、登山客にかまわず、土を一心に掘っていた。シカは軽々と登山道と飛び越えていった。

 

 ③の東登山道(下り専用)。急な箇所もあり、ハイヒールやサンダルでは危険

 40~50分くらいで駐車場に戻る。この頃には、駐車場は9割方埋まっていた。

関ケ原古戦場記念館】

 ハイキングが終わったので、長いドライブウェイを下って降りる。上ってくる車も増えてきた。

 まだ時間があったので、関ケ原古戦場記念館というところに寄ってみた。この辺りは、いたるところに関ケ原関の戦い関連の史跡があり、史跡巡りができるようになっている。関ケ原の戦いは、1600年に起こったので、今から424年前の出来事である。伊吹山の誕生に比べると、ごく最近のこととも言える。

 関ケ原古戦場記念館は、関ケ原町役場の向いにある。意外にもモダンで立派な建物であった。そして、大勢の人でにぎわっていた。

 入場料大人500円。1階にシアター、2階に展示室、5階に展望室がある。シアターは大人気で、予約がないと視聴できない。2階の展示室に行く。人でごった返していたので、ざっと見て出る。4階の展望室は、関ケ原一帯を見渡すことができ、パネルで、どこに誰の陣地があったかなどが説明されている。親子連れが多く、お父さんが子どもに関ケ原の戦いの解説をしたりしている。

 記念館には売店やレストランが併設されている。売店では、戦国武将のキャラクターグッズが売られ、レストランでは武将の名前にちなんだカレーやパフェなどが売られていた。ここも人でごったがえしていた。歴史好きの人が多いことを実感した。

 

 

 

映画「エドガルド・モルターラ」~心の臨界点

【あらすじ】(ネタバレあります)

 実話に基づく。十九世紀の半ばのイタリアはボローニャユダヤ人街で暮らす一家の元に、突然、ローマ教皇からの使者がやってくる。一家の子どもの内の一人、7歳のエドガルドを差し出せ、というのである。

 その理由は、エドガルドが赤ん坊の頃にキリスト教の洗礼を受けたから、というもの。ユダヤ人一家に育てられているキリスト教徒を救い出すという名目らしい。

 強引に連れていかれるエドガルド。必死で止めようとする父母。父母は様々な手を尽くしてエドガルドを取り返そうとするが、成功しない。

 一方のエドガルドは、キリスト教徒の寄宿舎のようなところに入れられて、大事に育てられ、キリスト教徒としての教育を受ける。賢い子で、時のローマ教皇ピウス9世にも愛される。

 長い年月が流れる。市民の反乱がローマ教皇領を襲う。軍隊の先頭に立つのは、エドガルドの兄。しかし、懐かしい兄に再開したはずのエドガルドは、兄の救いを拒否して、キリスト教徒として生きていくことを選ぶ。

【勢力争い】

 ローマ教皇が子どもの連れ去りを繰り返していたのは、幼い子を洗脳してキリスト教の尖兵に仕立て上げようとしたからである。カトリックでは、当然ながら子どもを作ることができないので、どこかから連れて来るしかない。エドガルドが幼児洗礼を受けていたというのは、ほとんど言いがかりであり、実際はモルターラ家で働いていた家政婦が赤ん坊のエドガルドが煉獄に落ちると思い込んで、勝手に洗礼の真似事をしたに過ぎないのだった。

 この時期、イタリア統一に向けた動きが強まってくる中で、教会とローマ教皇の権威は、危うくなっいてた。エドガルドは、そのような勢力争いに巻き込まれたのであった。

 それにしても、このローマ教皇ピウス9世は、まったくマフィアのドンのようだった。映画「ゴッドファーザー」では、ドン・コルレオーネは、子分たちに手に接吻をさせて忠誠を誓わせるが、ピウス9世は、自分の靴に接吻をさせて臣下の忠誠を確認している。

【心の臨界点】 

 エドガルドの一家は、敬虔なユダヤ教徒であった。幼い頃から、エドガルドはユダヤ教のお祈りの言葉を覚え、それは母との絆になっていた。連れ去られた当初、エドガルドは、「一生懸命キリスト教を学べば、早く家族に会える」と言われて、模範的な生徒になる。1~2年経って、父が会いに来たときには固い表情を見せたが、母が来たときには、「ママと一緒に帰りたい」と叫んで、感情を爆発させた。ところが、10年後に兄が会いに来たときには、兄を拒否して帰らなかった。その時にエドガルドは「僕は自分で選んでここに来たのだ。ここに来て幸せだ」と言う。そして、ピウス9世が死去したのちも教会に留まり、父と母が迎えに来ても応じず、司祭として一生を終えた。

 エドガルドは、連れ去りがなければ、敬虔なユダヤ教徒として家族共に生涯を送ったであろう。しかし、7歳の頃に連れ去られてキリスト教徒して教育をされたため、根っからのキリスト教徒になってしまった。

 語学は9歳までに始めないと、母語としては身に付かないと言われる。それと同じように、成長のある時期に刷り込まれたことは、一生抜けないのであろうか。いわば、心の臨界点のような時期があるのだろうか。

 

 

エドガルド・モルターラ

★★★

 

 

 

 

 

 

『道草』~リアル漱石・『猫』誕生の裏側

 寝しなに夏目漱石の「道草」を読んだ。すぐ眠くなるので、一日数ページである。読み終わるのにひと月くらいかかった。面白かった。

 『道草』は、漱石がイギリス留学から帰った時期の出来事が題材となっている。三十代後半くらいの時期である。

 漱石の生い立ちは複雑である。

 生まれて間もない頃に、養子に出された。そして、養父母からは溺愛される。しかしそれは、養父母の都合によるものだった。そのうちに、養父に愛人ができて、養父母は離婚し、9歳頃に漱石は実家に戻される。しかし、養父母の対立で、夏目家に復籍したのは大人になってからだった。その後も、漱石は養父からは長年、金の無心をされていた。

 『道草』の主人公健三は、留学から帰ったばかりで、大学の教師をしている。妻と娘が二人いて、妻は三人目の子を妊娠している。

 留学帰りの大学の先生ということで、周囲からは期待されている。その期待というのは、洋行帰りの大学の先生なのだから、高収入を得ているだろうということである。そして、みんな健三にたかりに来るのである。しかし、健三の懐具合は、かなり厳しい。

 ある日、健三は、元養父の島田と偶然出会う。島田は、人を遣わして、出入りすることを求める。それに応じると、島田はしばしばやってきては、くだらない昔の話をして帰る。そうこうしているうちに、金銭の要求をし始める。

 それとは別に落ちぶれた元養母もやってくる。

 健三は、毎回、彼らに手持ちの金を与える。 

 健三は、養父母とは離縁しているので、無心されるいわれはない。妻からも相手にするなと言われる。しかし、昔のことを色々と思い出してしまい、突き放してしまうこともできないでいる。

 その昔、養父母が健三を甘やかして、健三がつけあって、わがままになっていく様子や、養母が健三を味方にしようと仕向けたことなど、漱石は、子どもからの視点でリアルに描く。漱石は記憶力にも優れている。

 健三は、妻ともうまくいっていない。仲睦まじいときもあるが、妻が子どもを連れて実家に帰ってしまっこともあった。妻は、しばしばヒステリー発作を起こす。健三は、懸命に看病をする。妻が急に産気づいたときには、必死になって対応する。しかし、健三は素直に愛情を表現することができず、すぐに小理屈をこね、妻を非難する。妻からは、「泥棒でも詐欺師でもよいから、私を大事にしてくれる夫の方が良い」などと言われてしまう。

 妻の父は、元は公職に就いて高い地位にあった(実際は貴族院書記官長など歴任)。しかし、政争に巻き込まれて、今は凋落している。健三は、妻の父から保証人になってほしいと頼まれて、理屈が通らないと断る。

 妻は無事に出産するが、子どもはあまり可愛くは思えない。幼い頃美しかった長女は、だんだんと顔が滑稽な方向に変化していったと嘆く。

 健三には、歳の離れた姉と兄がいる。兄は、公務員だが体が弱く、何とか仕事にしがみついて生きているような状態である。姉も喘息持ちで、遊び人の夫は当直勤務と称して、愛人宅に泊っている。健三は姉に定期的に小遣いを渡している。

 問題だらけである。それもインテリとしての苦悩というものではなく、現実的で具体的な問題ばかりである。

 そんな中、鬱屈を解消する手段として、仕事とは全く関係ない原稿(『吾輩は猫である』の第一回)を書く。それが意外にも収入になる。

 兄や姉の夫に間に入ってもらい、養父とは、百円を支払って証文を取り返し、縁を切ることにする。しかし、その金がない。健三は、再び原稿用紙に向かい、その原稿料で養父との関係を切る。

 これで片付いたわね、という妻に対して、健三は「世の中に片付くことなんて殆どありゃしない。一遍起こってことは何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけのことさ」とつぶやくのであった。

 

 「吾輩は猫である」は、猫の目を通して、人間社会を風刺するというもので、主人公の苦沙弥先生の元に弟子や友人など様々な人々が集まり、面白おかしい話で盛り上がり、それを猫が冷静な目で批評する。そんなのんきで楽しい「猫」が生み出される裏側には、こんな事情があったのであった。

 文豪といえども、現実的な悩みに振り回されていたのだ。なんとなく、漱石を身近に感じる作品である。漱石の半生が凝縮されおり、様々な材料を提供してくれる作品でもある。