晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

観た映画、読んだ本、訪れた場所などの記録

八丁味噌の郷〜サスティナブルなAKA-MISO

 岡崎市八丁にある「八丁味噌の郷」を訪れた。赤味噌を370年以上にも渡って作り続けている合資会社「カクキユー」の本社と工場に売店と食堂が併設されている。

カクキュー本社屋。昭和2年に完成。国の登録有形文化財だが、現在も使われている。

 昼前に到着。それほど混んではいないが、団体客のバスが2台停まっていて、それなりに見学者は来ていた。

 昼前だったので、混む前にとまずは食堂に行く。味噌煮込みうどんと味噌カツが主要メニュー。味噌カツ定食を食べる。1,600円。味はフツー。

 売店の中に見学ツアーの受付がある。30分ごとに開催される無料のツアーである。申し込むと、うまい具合に次の回に滑り込むことができた。

 ツアーでは、味噌工場の敷地に入って、実際の味噌作りの様子や資料館を見学することができる。私の参加したツアーは、合計7組が参加。家族連れもいれば、カップルもいた。ガイドさんの後をぞろぞろ続いていく。女性のガイドさんは歯切れよく説明をしていく。

 ガイドさんの説明によると、とにかくなんでも古い。創業は、江戸時代初期の1645年(正保2年)。現当主は19代目とのこと。

 本社屋は、大正末期に作られたもの。当時としてはモダンなものだった。百年近くたっているが、現在も使われている。味噌蔵はさらに古く、明治時代のものとのこと。

 資料館を見学する。味噌作りの様子がジオラマで再現されている。製法はシンプルで、大豆を巨大な窯で蒸して発酵させ、塩と水を加えて、巨大な樽に詰め、石の重しを積み上げて、2年ほど成させるというもの。

 

味噌づくりのジオラマ。現在も作り方は基本的に同じ。

 

 製法は、基本的に今も同じである。大豆と塩と水以外のものは一切なし。いさぎよい感じである。

 木桶は、縦も直径も6尺(180cm)ある。大人がすっぽり入ってしまう大きさである。杉の木で作られていて、百年以上使えるのだそうな。

巨大な桶。人がすっぽりと収まる。これは、天保10年(1839年)製のもの。

 実際の工場も見学できる。中に入ると、味噌の発酵する匂いが漂っている。巨大な味噌樽が並んでいる様は壮観である。味噌の上の重しの石は、近くを流れる矢作川なものだそうだが、これも代々使いまわしているのだとのと。この石を積み上げるにも相当の修練が必要で、一旦積まれれば、地震が来てもびくともしないとのことであった。

味噌樽の群れ。壮観である。

 ツアーは、30分で終了。最後に味噌汁の試飲と味噌だれ付きのこんにゃくの試食があり、ちょっとしたお土産ももらえる。

 最後に売店赤味噌を購入。ついでに、味噌のソフトクリームも食べた。

 赤味噌は、色々と健康にいいそうである。スーパーフードだと絶賛する人もいる。何よりおいしい。ご飯にぴったりである。海外でも人気だそうだ。

 近頃、「持続可能な~」とよく耳にするが、八丁味噌は、ずっと昔からサスティナブルなのであった。

 

映画「オッペンハイマー」〜原爆の父の実像

 原爆を開発した物理学者ロバート・オッペンハイマーの栄光と没落を描いた映画。180分の大作である。今年のアカデミー賞作品賞等の受賞作でもある。

【人物】

 オッペンハイマーは、ユダヤ系のアメリカ人。ハーバード大学で化学を学び、ケンブリッジ大に留学。ニールス・ボーア教授の知遇を得て、理論物理学に進み、ドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得。若くしてカルフォルニア工科大学の教授となり、理論物理学を研究し、宇宙物理学で星の終焉やブラックホールの研究などしていた。

   英語のほか、ドイツ語やオランダ語などいくつもの言語を使い、サンスクリット語まで読みこなした。文学書やフロイトユングなどの深層心理学マルクス資本論を読み、ピカソなどの芸術作品にも親しみ、共産主義に共感するなど、物理学の天才であっただけでなく、幅広い教養を備えた人物であった。

 性格的には、基本的に内向的であり、繊細で不安定なところがあった。留学時代は、宇宙のことを考えすぎて少しおかしくなり、教授に青酸カリ入りのリンゴを食べさせようとしたりした。仕事熱心で誠実だが独善的な面もあり、女性にだらしがなく、結婚後も愛人との関係を続け、人妻と浮気をした。

【映画の構成】

 映画は主に、①オッペンハイマーが原爆を開発するまでの経過、②戦後にオッペンハイマーがスパイ容疑をかけられて非公開の聴聞を受けている場面、③オッペンハイマーを陥れた原子力委員会委員長のストローズの聴聞会の場面で構成される。これらが前後して進んでいき、最後に種明かしがされる。

 最初は、①~③のつながりがよく分からず、特に➁と③は誰が何を追及しているのかが分かりにくい。見ているうちに飲み込めてくるのだが、予備知識があった方が良いと思われた。

 ところどころでオッペンハイマーの主観的な幻想が挿入され、オッペンハイマーの内的な世界が、外的な世界とはずれがあることが示される。

【なぜ原爆開発をしたのか】

 オッペンハイマーは、もともと学級肌の人物であった。化学の実験は苦手で、理論物理学に転向したとおり、現実的なことは苦手で、観念的なことの方が得意な人物だったようである。そんな彼がなぜ、原爆を作ることになったのか。アメリカ陸軍が優秀な物理学者であったオッペンハイマーをスカウトしたのは分かるが、なぜそれに応じたのだろうか。

 まず、ユダヤ系であることが関係しているようだ。ナチスよりも早く原爆を作らなければという切迫感があったのだ。ユダヤ人を迫害するナチスに原爆を作らせるわけにはいかなかった。ドイツには、優秀な物理学者がいることも知っていて、原爆が実現可能なことも知っていた。

 やはり、競争心、名誉心もあったのだろう。オッペンハイマーは、同僚の物理学者と比べて目立たない存在だった。マンハッタン計画の成功でタイム誌の表紙を飾り、一躍世界で一番有名な物理学者になった。

 また、科学者としての野心もあっただろう。莫大な予算を使い、思う通りに自分の理論を実際に試してみたいと欲望に逆らえなかったのかもしれない。

 しかし、オッペンハイマーは、原爆を作った結果がどうなるかは分かっていた。友人の物理学者にも忠告されていた。しかし、原爆を使用することで、戦争を早く終わらせることができ、多くの人の命を救うことができるという詭弁を無理やり信じ込み、現実から目を逸らした。

プロジェクトX

 原爆開発は巨大なプロジェクトである。その様子は、まさにプロジェクトXそのもの。ニューメキシコ州ロスアラモスの何もない荒野に街を一つ作り出し、全米各地にウラン鉱採掘、ウラン濃縮工場、冶金工場などを設置して鉄道で結ぶ。オッペンハイマーは、プロジェクトリーダーとして、個性的な科学者たちを一つの目標に向けてまとめあげていく。その姿は、かつての内向的な理論物理学者ではない。

 そして、原爆実験トリニティ計画が成功裏に終わる。みんな大喜び。オッペンハイマーは、プロジェクトリーダーとして、喝采を浴びる。

 しかし、作り出したものは、極めて破壊力が大きい爆弾。当然、作った以上は、使われるのである。

 ナチスドイツが降伏したことで、原爆使用に反対する研究員たちもいた。しかし、立場上オッペンハイマーはそれに加わることはできない。そして、広島と長崎に原爆が投下されたことをラジオで知る。

 ロスアラモスは、興奮の渦に包まれる。「オッピー、オッピー」と愛称で呼ばれ、大喝采を受けるオッペンハイマー。しかし、オッペンハイマーは熱狂する群衆の中に死と破壊の幻想を見るのであった。

 オッペンハイマーがやらなくとも、誰かが原爆は作っていたのだろう。その意味では、歴史の中で役割を担わされたという見方もできるだろうか。

 

オッペンハイマー

★★★

 「原爆の父」オッペンハイマーの人生や原爆開発の事情を知ることができる。その一方、過剰な演出や複雑な構成は、余計なもののように思われた。後年、オッペンハイマーは、『バガヴァット・ギーター』の一節を引用して、「われは死神なり。世界の破壊者なり」などと語ったとされるが、映画の中ではそれがなんだか文学的で格好よく聞こえるので、嫌な気がした。

 

 

「三四郎」夏目漱石~田舎者の目から見た東京人物図鑑

 夏目漱石の「三四郎」を読んだ。読むのは二回目か三回目である。今回は、寝る前に布団の中で少しづつ読んだ。すぐに眠くなるので、読み終わるのにひと月くらいかかった。少しづつ、話が進んでいくので、こういう読み方も面白いと思った。

 明治時代の終わり頃。田舎の秀才小川三四郎は、故郷の熊本から東京の大学に進学するため上京した。それから一年くらいの間に三四郎が見聞きしたことがこの小説の内容である。

 三四郎はうぶな青年である。上京する汽車の中で一緒になった年上の女性と名古屋で同宿することになり誘惑されるが、防御線を張って一夜を過ごし、「あなたはよっぽど度胸がない人ですね」と言われる。

 三四郎は田舎者である。路面電車や人の多さや東京がどこまでいっても無くならないことに一々驚く。

 大学の講義には最初はやる気を見せる。しかし、学期になっても講義はなかなか始まらない。始まったら始まったで、だんだんやる気を失いノートも取らなくなる。勉学よりも刺激的な都会の生活に興味が移る。さもありなん。

 汽車の中で知り合った広田先生は、知識も豊富で深遠な思想を持っているようなのに、世の中には出ようとせず、やる気のないようなことばかり言っている。これも三四郎には不可解である。その広田先生を大学教授にしようとして、大学生の佐々木は奔走する。佐々木が軽佻でいい加減なのにも三四郎は面食らう。

 佐々木の案内で、三四郎はサロンのようなところにも出入りする。洋食を食べたり、観劇をしたり、絵を観に行ったりするが、平凡な感想を持つだけである。広田先生に謎の洋書を渡されて、さっぱり意味が分からず、なぜこの本を渡したのだろうと不思議がる。

 同郷出身で物理学者の野々宮と知己となる。その妹のよし子とその友人の美禰子とも知り合う。美禰子は三四郎とおない年だが、精神年齢は上である。三四郎は、美禰子に恋をする。美禰子は、「stray sheep ストレイ・シープ」(迷える子羊)と謎めいた言葉を告げ、それが三四郎の頭にこびりつく。三四郎は、大学の講義の間中ずっとノートに「stray sheep」と書く。馬鹿である。

 美禰子も三四郎に気があるような素振りも見せるが、おちょくっているだけのようにも見える。最後に、「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」とまた、謎の言葉を残して、年上の男性と結婚する。これは、「その気がないのにおちょくってごめんね」と言っているのか、気の乗らない相手と結婚する自分のことを言っているのか。多分その両方なのだろう。

 三四郎は、素朴で単純な青年である。三四郎自身の内面はほとんど描かれないが、そもそもそんなものはないのだろう。ただ驚いたり、素朴に反応するだけである。

 漱石は熊本の高等学校の先生をしていたし、東京帝大でも教えていたので、こういう学生を見ることは多かったのだろう。

 そういう学生の目を借りて、都会の人士を描写してみせたのがこの作品と言えそうである。そういう意味では、三四郎は「吾輩は猫である」の猫の役割を担っている。

 「三四郎」「それから」「門」と三部作といわれているが、「三四郎」は「それから」や「門」とはだいぶテイストが違うように思えた。

 「三四郎」を最初に読んだのは、高校生のときである。このときは、つまらなくて途中で投げ出してしまった。それからだいぶ経って、読み返してみると面白かった。優れた作品は、再読してみるものである。

 なお、三四郎は、きれいな東京言葉を使っているが、熊本弁は抜けたのだろうか。「矛盾ばい」などと呟く三四郎も面白いと思う。

 

 

 

 

読書『凡人のためのあっぱれな最期』樋口裕一

 著者の樋口裕一氏は、71歳。文学に造詣の深い、インテリである。2022年に妻を亡くした。この作品は、樋口氏が妻の死に際して考えたことを著したものである。

 樋口氏の妻は、まったくの健康だったが、突然子宮体癌が見つかり、治療の甲斐なく1年半後に亡くなった。樋口氏をはじめ家族は、何とか治療しようと右往左往するのだか、当の本人は泰然としていて、嘆き悲しむこともなく、あっぱれな死を迎えた。それは、修行を積んだ僧侶のようであった。

 樋口氏によれば、妻は、平凡で、怒りっぽい人で、まったく悟ったようなところはなかった。それなのに、なぜ妻があっぱれな死を迎えることができたのか。樋口氏は、妻の生前の様子に、古今東西の文学や哲学を参照しつつ、考察をする。

 樋口氏がたどり着いた結論は、妻は「菫のように生きた」ということだった。これは、夏目漱石の「菫ほど小さき人に生まれたし」という俳句からの引用である。つまり、目立たず、ひっそりと、平凡なありふれた人として生きた。

 樋口氏によれば、生前の妻は、田舎の農家の出で、自然を愛し、自分を生き物の一つとみなして特別視せず、子どもを育てて孫の世話をしたら自分の役割は終わったとみなしていた。現実的な物の見方をし、死後の世界などは信じず、死んだらゴミになるだけと考えていた。温泉に行きたいとか、おいしいものを食べたいといういった欲はあるが、執着はなかった。あまり努力することはないが、そのためか諦めも早かった。そのようなことで、死を目の前にしても、嘆き悲しむこともなく、泰然としていられたという。

 普通、我々は人生に何らかの期待をしている。何かいいことがあるのではないかと漠然と思っている。あるいは、何かの目標を持って、それの実現に向けて努力している。そうでなくとも、食べるもの、着るもの、異性などに執着して、死ぬことを先延ばしにしたいと思っている。

 仏教では、苦しみをなくすには執着を捨てなければならないとする。しかし、執着を捨てるのは容易ではないので、物事をよく観察して、すべての物事は一時的なものであり、執着するに値しないということを実感する(悟る)ことが必要と説く。

 しかし、そんな面倒なことをしなくとも、自然と悟っている人もいるのである。

 もしかすると、表に出てこないだけで、こういう人は結構いるのかもしれない。毎日毎日、多くの人々が死んでいるのである*1。中には、こんな感じで潔く死を迎える人もいるのだろう。

 昔は、死はもっと身近だった。歴史学者フィリップ・アリエスによれば、中世までは死は日常的であり、当たり前の出来事で、普段から死の準備をしていて、死を恐れることはなかった(本書p130 (C)飼い慣れされた死)。

 医療が進歩していなかったおかげで、人はちょっとしたことですぐに死ぬし、がんで余命を宣告され、治療に奔走するということもなかっただろう。余計なことを悩まなくて済んだとも言える。

 アメリカの精神科医キュブラー・ロスの死の受容プロセスモデルによれば、死に直面した人は、「否認→怒り→取引き→抑うつ→受容」という経過を辿るとされ、私もそういうものなのかなと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。

 樋口氏が最後に述べているように、自然に親しむことが、死を身近に感じる方法のようである。年を取ると四季や植物などに親しみを覚えるのも、死の準備としての心の働きなのかもしれない。

 また、本作は樋口氏の妻への追悼の書であり、しんみりとした読後感であった。

 

『凡人のためのあっぱれな最後』古今東西に学ぶ死の教養

 樋口裕一 幻冬社新書 960円

 

 なお、類書に『人間の死に方』久坂部羊幻冬舎新書)がある。これは、医師だった著者の父が医療を拒否して、やりたい放題、わがままに死んでいったという記録である。これも面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

*1:日本で死ぬ人は一日あたり3,280人 厚生労働省「日本の1日」

映画「ミツバチのささやき」〜始まりの物語

 「瞳をとじて」と順番が逆になったが、「ミツバチのささやき」を観た。1973年制作。スペインの名匠ビクトル・エリセ監督の第一作である。

 1940年。スペインのカタルーニャ地方の寒村。巡回映画で「フランケンシュタイン」が上映される。熱心に見入る村の子どもたち。娯楽のない時代である。

 大きなお屋敷に住む一家。初老の夫は、インテリのようだが、なぜか蜜蜂の養蜂をしている。ガラスの巣箱に入れた蜜蜂を観察して、文章を綴る。美しい妻は、誰かに手紙を書いては汽車便に出しに行く。二人の仲は冷めているようだ。

 幼い娘が二人。姉のイザベルと妹のアナ。二人とも村の小学校に通っている。

 イザベルに「フランケンシュタインは、精霊だから生きている」と聞かされ信じてしまうアナ。

 二人は、だだっ広い畑の向こうにある石造りの小屋を探検したりする。

 ある日、ある男が汽車から飛び降りて、その小屋に逃げ込む。それを発見してしまったアナ。映画の影響なのか、リンゴやパン、コートなどをこっそりと持っていく。

 しかし、男は発見され、射殺される。男の持っていたコートのポケットから、父親の愛用する懐中時計が見つかる。

 父親は小屋に来ていたアナを見つける。呼びかける父を振り切って、アナは逃げ出す。

 行方不明のアナを捜索する人々。一方、アナは湖のほとりでフランケンシュタインと出会う。映画とそっくりの場面。

 発見されたアナは、しばらくは寝込んでしまう。回復したアナは、夜更けに寝室の窓の外に向かって、瞳をとじて「わたしはアナ」と呼びかける‥‥。

 静かな映画である。セリフは少ない。アナの視点で、さまざまな人や物が映し出される。登場人物が対話を繰り返す「瞳をとじて」とは、対照的である。

 アナは、じっと見つめることで、さまざまなことを学んでいる。人間の世界は奇妙なことばかり。まだ、ファンタジーと現実の区別はあいまい。

 人間は生まれて、この世界に放り出される。人間は、社会の中でしか生きることができない。だから、自分たちが作り上げた社会を唯一の現実だと信じ込む。しかし、本当は、それは一つの在り方に過ぎない。幼い子どもには、それ以外のものも見えている。人間社会を唯一の現実として受け入れていくことで、子どもは社会の一員となる。

 「七歳までは神のうち」*1という。アナは、人間社会に入る一歩手前のところにいるのだった。

 だから、アナは、とても危うい。ファンタジーの世界に取り込まれて、帰れなくなるのではないか。アナが無事に戻ってきたときには、ほっとした。これはいわば、「始まりの物語」である。

 われわれは、アナの50年後の姿を「瞳をとじて」で観ることになる。「瞳をとじて」は、人生の終盤にさしかかった人々の「終わりの物語」であった。そして、アナは、記憶をなくしたフランケンシュタインのような父に向って、暗い部屋で「わたしはアナ」と呼びかけるのだった。

 

ミツバチのささやき

 ★★★★

 静かだが、なにやら不穏な空気が流れ、スリリングな展開で退屈させない。説明的ではなく、映像で語らしめる。作品の背景には、スペイン内戦後の分断やフランコ政権下の批判もあるそうだが、そういった事情を知らなくても楽しめる。夫は何のためにミツバチの生態を記録しているのかとか、妻が誰に手紙を書いているのかとか、脱走してきた男は誰だったのかとか謎が多く、意味深な感じであった。

 

 

 

*1:柳田国男が唱えた説だが、民俗学的には否定されてているようだ。

大垣散歩〜水と芭蕉

 JR大垣駅は、わりと大きな駅だった。JR以外にも、樽見鉄道養老鉄道の起点となっている。

 大垣は、松尾芭蕉奥の細道の旅を終えた場所。奥の細道をたどる散策路(ミニ奥の細道)が整備されている。

 大垣城の昔の外堀が水路(水門川)になっている。水路沿いの散策路に、芭蕉が詠んだ順に句碑が建てられていて、それを辿っていくと奥の細道を擬似体験できるという趣向である。駅構内の案内所で観光マップがもらえる。

 

句碑「夏草や つわものどもが 夢の跡」(平泉)

 

 句碑は22基あり、句の解説とその地域の紹介がされている。

 水路の水は、きれいだった。ところどころに自噴井(じふんせい)があり、人々が水を汲みに来ていた。水が湧いているところには、神社があることが多いようだ。

水路。水がきれいだった。



 遊歩道には、桜並木もある。訪れたのは2月の初旬で人通りはなかったが、春になればにぎわうのだろう。その頃には、たらい舟に乗ることもできるらしい。

 寄り道もしながら、40~50分ほどで、「奥の細道むすびの地記念館」に到着。喫茶コーナーや土産物売り場もある。喫茶コーナーでは、うどんなどの軽食や飲み物、ワッフルなどの甘味も売っている。甘酒を飲み、一服する。

 

奥の細道むすびの地記念館

 記念館は、入館料300円。入り口に3Dシアターがあり、芭蕉の旅がよく分かる。3Dメガネを掛けて視聴。

 館内では、芭蕉の足跡をパネルで紹介したり、旅で使う道具などを展示していた。芭蕉は、当時としては高齢で、健康状態も良くなかったそうだが、よく歩いたものだ。

 記念館の前には、芭蕉とその弟子曽良の像があった。なぜか離れている二人。芭蕉は、曽良に荷物を持たせていたそうだが。

芭蕉曽良。なぜか距離がある。

 帰りは、大垣城に寄る。城の横の公園では、家族連れなどが和やかに遊んでいた。復元された本丸は、こぢんまりしていた。ここを関ケ原の戦いのときに、石田三成が西軍の本拠地にした。江戸時代になってからは、11代にわたって善政が続いたとのことで、大垣の人々は恵まれていたようだ。芭蕉奥の細道の旅を終えて、ここで一休みしたそうだし、良い所だったのだろう。

大垣城。中にも入れる。

 大垣城には観光客がわりといた。中にも入れるが、疲れたのでパスする。休日のせいか大垣駅前の商店街は、シャッターが閉まっている店が多く、閑散としていた。うどん屋に入ったが、満員で断られる。寿司屋に入って、寿司と天ぷらと茶碗蒸しのセットを注文。1,200円。味は、まあ普通だった。

 ゆっくり散策して二時間程度。芭蕉のようにどこかに旅に出たくなった。

 

 

 

 

 

映画「瞳をとじて」〜失われた時を求めて

【あらまし】

 スペインが舞台。老年を迎えた作家ミゲルは、片田舎の海辺の町で静かに暮らしている。昔は映画監督だった。二作目の作品『別れのまなざし』を撮影中、主役が失踪してしまい、映画を断念する。その作品の主役は、ミゲルの親友フリオだった。

 作家として成功し、今は引退して翻訳で細々と暮らすミゲル。ドキュメント番組「未解決事件」にフリオの失踪事件のネタを提供し、未発表のフィルムを放映することで、報酬を得ようとする。そして、それは封印していた過去を辿る旅の始まりとなった。

 番組を見た老人施設の職員から、フリオらしき人物が入所しているとの情報が入る。ミゲルが訪れると、果たしてそれはフリオだった。しかし、フリオは逆行性健忘で、過去の記憶をすっかり失っていたのだった。

 そんなフリオに、ミゲルはさまざまな働き掛けをして、フリオの記憶を呼び覚まそうとするのだが‥‥

【過去の探偵】

 番組のディレクターに頼まれ、ミゲルはフリオの生き別れた娘アナと会う。貸し倉庫に保管していた映画の資料を見てみたり、当時の編集担当マックスと会って、未完成の作品を見直す。フリオと三角関係にあったかつての恋人ロカの別荘を訪ねて語らう。少しずつ証拠は集まるが、謎は深まるばかり。なぜ、フリオは消えたのか。

 フリオは多くの問題を抱えていた。迫りくる老いに立ち向かえなかった。彼は、思い通りに消えたのかもしれない……

【記憶を蘇らせる】

 海辺の老人施設にフリオらしき人物がいると聞き、ミゲルはすぐに会いに行く。しかし、フリオは自分の半生をすっかり忘れている。ミゲルを見ても分からない。しかし、『別れのまなざし』で使った少女のポートレートをしおりに使っていた。

 フリオは施設に泊まり込んで、ミゲルの記憶を蘇らせようと試みる。写真を見せてもダメだが、昔の歌を歌うことはでき、かつて在籍した海軍で覚えた縄の結び方は覚えている。最後にミゲルは、フリオと関係のあった人々を集め、未完成の映画『別れのまなざし』上映会を催す。

失われた時を求めて

 なぜ、ミゲルはフリオの記憶を呼び覚ますことに躍起になるのか。これはフリオのためばかりではないようである。そもそも、フリオが嫌な過去を忘れたくて忘れていのならば、そっとしておいた方がいいとも思える。

 それは、ミゲル自身が老いに向かい合っているからだろう。自らの人生を振り返り、それがどうだったのかを考えたいのだ。ミゲルの人生にとって、フリオの失踪は、欠けたピースだったのだ。だから、フリオに戻ってきてもらい、語らい合い、真相を知りたかったのだろう。「あれはいったいどういうことだったのか」と。

 これからミゲルはどういう人生を送るのだろうか。

 

瞳をとじて

★★★★

 169分。語りが中心の静かな映画。ちょっと長めだが、ミステリー的な要素もあって、飽きさせない。海辺での暮らしは、『PERFECT DAYS』を思わせる。人生の締めくくりという普遍的なテーマでもあり、考えさせられる。