晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

観た映画、読んだ本、訪れた場所などの記録

映画「リュミエール!リュミエール!」130年前の世界と日本

    フランスの映画発明者リュミエール兄弟の作品を紹介する映画。いわば映画の映画である。

 リュミエール兄弟は、エジソンが発明したキネトスコープから影響を受け、動画を映写する装置(シネマトグラフ)を発明した。1895年のことである。

 17メートルのフィルムを手回しで撮影し、一本の長さは50秒。

 本作では、リュミエール兄弟の110本の作品を同時代の作曲家フォーレの音楽と共に紹介する。

 リュミエール兄弟は、まず地元のリヨンやパリの風景を記録し、上映した。50秒の作品を11本を上映するというものだったが、大盛況だった。

 代表作は、「工場の出口」。工場からドレスを着て大きな帽子をかぶった女性たちが次々と出てきて、自転車に乗った男性が混じり、最後に馬車が出てくるというもの。

 さらにリュミエール兄弟は、ヨーロッパやアメリカの各地の風景、汽車からの眺め、家族での海での遊び、軍隊などを次から次に記録した。

 西欧の街並みは今と大して変わらない。ただし、車の代わりに馬車が行き交う。街ゆく人々の格好が、男性は背広に帽子、女性はドレスに帽子と決まりきっている。子どもたちが屈託なく遊ぶ様子は、今も変わらない。そして時代劇ではない、本物の騎兵たち。

 リュミエール兄弟は、海外にもカメラマンを派遣した。植民地であったアルジェリアベトナムなど。それから日本にも足を伸ばした。

 日清戦争が終わった明治中頃の日本。お茶を飲む和装の家族、東京の大通りを行き交う人々、水車を足で回して田んぼに水を入れる農夫。人々は着物を着て、歩いている。その中に人力車が行き交う。ヨーロッパのような馬車はない。貴重な映像記録である。

 リュミエール兄弟は、記録するだけでなく、様々な演出もした。コメディもある。解説によると、現代の映画の技法は、ほぼすべてリュミエール兄弟に原点があるのだとか。

 少々退屈だが、映画の歴史とともに、130年前の世界と日本を見ることができる貴重な作品である。

 

リュミエールリュミエール!」

★★★

 

映画「本心」~延長線上の未来

※ネタバレあり。

【あらまし】

   近未来のSFヒューマンドラマ。ミステリー(謎解き)仕立てで物語が進んでいく。

 本作の謎は、自殺した母の本心。仲の良い親子だったのに、なぜ何も言わずに自死を選んだのか。最後に伝えたかったことは、何だったのか‥‥

  息子は、母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作り、そこに現れた母と対話を重ね、母の本心を探る。

【近未来】

  数年後の未来が描かれる。見たところ、人々の生活は今とほとんど変わらない。異なるのは、AI技術が進歩していること、社会の階層化が進んでいるらしいことである。また、高齢化社会の対策なのか、「自殺法」というようなものが施行されており、自死を選ぶ人の遺族には相続税などの優遇措置があるほか、まとまったお金がもらえる。

 主人公は、頭が良く礼儀正しい青年だが、高校生の時にある事件を起こしたことで、進学や条件の良い就職が出来なかったらしく、「リアルアバター」として働いている。リアルアバターというのは、カメラやマイクを装着して、依頼者の代わりに、リアルな世界で命じられたことをする仕事。依頼者の評価が受注に直結しており、依頼者に言われるがままとなっている。依頼者には不愉快な人物が多い。青年は命令どおりに、大汗をかいてあちらこちらへと走り回る。

【ヴァーチャル・フィギュア】

  青年は母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)の制作会社に行って、母のVFの制作を依頼する。制作会社の若いハンサムな社長は、微笑みながら「VFは本人と何も変わりませんよ」などと言い、胡散臭い感じである。

 VFの作り方は、インターネット上にある母の生前のデータを集めAIに学習させて復元するというもの。生成AIなので、会話をする内にだんだんそれっぽくなっていき、ネット上で最新のデータも収集するので、近頃の話題にもついていけるのだとか。

 青年の知らない母の一面を母の友人であった元同僚の若い女性が知っているので、その友人からのデータの提供を受けて、母のVFを完成させる。なお、その若い女性は、青年の昔の恋人に似ていて、本人なのかどうかよく分からないまま、なぜか同棲を始め、複雑な三角関係が展開される。

【死をないことにする】

   亡くなった人のデータを集積して、その人らしい反応をする人物像を再現するというのを、テレビで見たことがあった。本作のVFはその延長線上にあるが、技術が進んでいるのでよりリアルになっている。本作の場合は、母がインターネットを使い出したのは晩年からと思われるので、データ量は多くはなく、不十分なものしか作れなかったかもしれないが、デジタルネイティブの世代ともなれば、データ量も十分で、本人と遜色のないものが出来上がるのだろう。

 しかし、何でそんなものを作ろうとするのか?

 亡き人をしのぶというなら、写真や彫像と同じことで、分からないでもない。命日に墓石の前で、亡くなった人に話しかけると心が落ち着く人もいる。

 また、優れた人物のVFを作っておけば、その人の死後もその人物のことを知ったり、相談できるという利点もある。たとえば、100年後の子どもが21世紀に活躍した伝説の野球選手ショウヘイ・オオタニから直接バッティング技術を学ぶとか。

 しかし青年は、実のところ、母の死を受け入れられなかったようである。VFを作ることで母の死をなかったことにしたかったようだ。母とダンスを踊ったり、観光地を訪れてみたり……。思わせぶりな死に方をした母の責任も大きいと思われた。

【本心】

 チラシには「時代に彷徨う人間の《心》と《本質》を描く」とある。描かれていたのは、社会的地位と金銭による力関係で規定され、人間関係は総じて浅薄な、うそ寒い世界であった。一応「人間と言うものは、結局、弱肉強食的で自己中心的」といった感じでの《本質》は描かれていたが、《心》はあまり描かれていなかった。

 本作のテーマの「本心」は、息子が知りたかった生前の母の本心ということであるが、そんなもの知りようがないし、知っても仕方ないだろうというのが感想である。人の本心のようなものは、対人関係の中で生じてくるものであるし、当の本人にとってもそのときにならないと何が出てくるが分からないというのが正直なところではなかろうか。

 

本心

★★★

 近未来の話で、多少の誇張はあるものの、基本的に現代の延長線上の話である。現代の社会問題が色々と詰め込まれているので、そういったことを考える題材には良いのかもしれない。122分。

   

 

 

 

映画「ナミビアの砂漠」~何をしたいのか分からない人

※ネタバレあり。

【あらまし】

 脱毛サロンで働く21歳の女性。同棲している交際相手から、別の交際相手に乗り換える。相手のことは好きなのだが、些細なことで爆発してしまう。自分のことは棚に上げて、相手を責める。嘘も平気でつく。精神科の診察を受けたり、カウンセリングを受けたりもするが、自分は何なのか、何をしたいのかが分からない。そんな人の日常を描いたもの。

ナミビアの砂漠】

 最終的にナミビアの砂漠に行く話なのかと思ったが、そうではなかった。ナミビアの砂漠にある野生動物の水飲み場ライブカメラが設置されていて、女性はときどきそれを眺める。心が荒れている女性は、その映像を見て、気持ちを落ち着けている様子である。何もないところで、動物たちが生存のために水を飲みに来るというシンプルさが良いのかもしれない。

【混乱】

 女性は、エネルギーにあふれている。しかし、方向性が定まらない。根底に怒りを抱えている。特に女性一般に対する男性の無神経や無理解に強く反発する。父親との関係や中国系であることなどが関係しているのかもしれない。カウンセラーからは、「あるべき思考」が原因の一つであるかもしれないと指摘される。真面目な面もあり、職場ではきちんと働いているし、恋人の仲間のキャンプに参加するときには服装にも気を配り、礼儀正しく振舞う。その一方で恋人には依存して、甘え、完璧さを要求する。恋人たちは振り回される。

 女性がルームランナーで走っている心象風景が描かれる。その中では、恋人への暴力シーンは、スマホの中の動画に過ぎない。走っても走っても前に進まず、現実の生活は表面的で、心からは離れてしまっていることが示唆される。

【優しい男たち】

 前の恋人も後の恋人も、女性には優しい。堪忍袋の緒が切れて、乱暴な言動に出そうになるが、「大きな声を出さないで!」と叫ばれると、怯んでしまう。この辺りの男性像は、現代風である。二人とも、女性に振り回されつつも、離れられないのは、それだけ魅力があるということだろう。

【感想】

 恋人と語らう和やかなシーンで終わったが、特に解決は見いだせず、今後二人の関係が平穏に向かうとも思えなかった。思い切って、ナミビアに行って見るのも一法では、と思えた。

 

ナミビアの砂漠

★★★

 

映画「僕のお日さま」〜雪の結晶のような恋

※ネタバレあり。

【あらまし】

 北国の冬。ここでは、男の子はみな雪が降るとアイスホッケーをして、雪がない季節は野球をすることになっているらしい。

 少年は、野球もアイスホッケー下手で、やる気もない。どうやら、争いごとが嫌いなタイプのようだ。

 アイスホッケーが終わった後のスケートリンクでは、女の子たちがフィギュアスケートの練習をする。

 少年は、ある少女に目を奪われる。ピアノ曲「月の光」とともに氷上を滑る少女の姿は、光に包まれ神々しくさえ見えた。

 少年は、フィギュアスケートを見よう見まねで始める。

 それを見ていたのは、フィギュアスケートのコーチ。コーチは、かつて有名選手だったが、事情があって、この町のスケートリンクの管理者兼コーチをしている。コーチは、かつての自分の姿に重ねたのか、少年にスケート靴を貸して、指導を始める。

 コーチは二人にアイスダンスの大会に出ることを提案する。少女は、気が進まなかったが、尊敬するコーチの言うことなので、従うことにした。

 二人は、アイスダンスの練習を黙々と重ねる。少年には吃音があり、少女は無口なので、会話は少ないのである。少年はめきめきと上達して、息がぴったりと合うようになる。三人は、ひとつとなって、素晴らしい時間を過ごすのだが……

【三位一体の関係】

 淡い恋の物語である。少年は、少女に恋をした。少女はコーチに恋心を抱く。コーチは少年に目をかける(下図)。この関係がうまく循環するとき、三位一体となって、素晴らしい時間が出現した。

 

三位一体の図

 しかしそれは、雪の結晶のように美しくもはかないものであった。

 もともとこのシステムは不安定であり、アイスダンス大会出場という目標を推進力として、成立していたものであった。それが失われたとき、この関係はあっけなく溶け去ってしまう。

 いずれにしても、冬が去れば、スケートの季節は終わるわけなので、長続きするものではなかった。はかないからこその美しさとも言える。

【映像美】

 スタンダードサイズで、雪国の情景が絵画的に美しく描かれている。物語の淡い雰囲気と良く合っていた。ピアノ曲「月の光」もマッチしてた。嫌な人は出てこない映画であった。

 

ぼくのお日さま

★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホキ美術館〜見ることの不思議

    ホキ美術館は、千葉市にある世界でもまれな、写実絵画専門の美術館である。「ホキ」というのは、創設者の姓「保木」からとったものと思われる。収蔵作家一覧のには50人近い画家の名前が挙がっているが、ほとんどが現役作家である。そういう意味では、現在進行形の美術館と言える。

 

特徴的なエントランス。1階の一部は宙に浮いている。

 美術館は、上から見ると細長い二つの円弧が並んだ形をしている。長いエントランスを歩くと入り口に着く。入場料を払って、エントランスホールを進み、ギャラリーに入る。展示室は、1階から地下に続く。

 展示されていのは、写実的な絵画作品である(一部、陶磁器、オブジェもあり)。モチーフは人物、風景、静物であり、人物では女性(特に裸婦)が多い。

 展示室に入ると多くの人は感嘆の声を上げる。本物そっくりだからである。近づいたり、離れたりして見て、 髪の毛一本一本まで緻密に描かれているのに感心する。そして、どうしたらこんなに精密に本物そっくりに描けるのかと思う。

 写真のようだ、と思う。

 そうだ、写真があるのだ。なぜ、わざわざ絵に描かなくてはならないのか。写真の登場で、写実的な絵画は廃れたのではなかったか。

 絵とはなんとむなしいものだろう。原物には感心しないのに、それが似ているといって感心されるとは。

パスカル『パンセ』より*1

 写実画の制作には、数ヶ月の時間がかかるという。なぜ時間と労力をかけて、本物そっくりの絵を描こうとするのか。

 たとえば、女性の絵がある。シャツと半ズボンという軽装で、立ってこちらを見ている。サイズは、実物よりもやや大きい。

 これを見る。近づいて、顔を見る。つぶさに、目や眉や鼻や唇を見て、唇のしわが多いことに気づく。腕を見る。腕の肌がどう描かれているのかを見る。服を見る。足を見る。足の指を見る……見だすときりがない。写実画は見るところが多い。

 普段、こんな風に人を見ることはできない。自分の手足なら見ることはできるが、そんなにじっくり見ることもない。もちろん写真ならじっくり見ることはできる。しかし、写真をそれほど見ようとは思わない。それは機械によって光学的に写し取られたものに過ぎないから。絵画は人の手によって、油絵具で時間をかけて描かれたと知っているので、じっくり見るのである。

 じっくり見ると、色々と気づくことが多い。

 画家は作品を制作しているとき、モチーフをものすごい時間をかけて見ている。その見た結果を画布の上に技法を尽くして表現する。

 写実画といっても、ありのままに描かれているわけではない。理想的な美人画であったり、美しい風景であったり、シュールな構成であったりもする。立像にしても、そもそもじっとまっすぐ前を見て立っている人など、普通はいない。女性の瞳の中に、相手の姿が写っていたりする。そこまで描かれると現実離れしてくる。

 当たり前の話だが、描かれているのは、画家が見た世界である。鑑賞者は、画家の目を借りて、モチーフを見ることになる。だから、画家が描く細部も、現実のようであって、現実ではない。画家は、まず、見ることのプロなのである。

 一通り見終わって、昼前になったので、美術館に併設されているレストランに入る。わりと本格的なイタリアンレストランであった。時間が早かったせいか、空いていた。

ランチセットの前菜5種

 ランチセットは、前菜、季節のスープ、メイン料理、デザート、ドリンクのコースで、4,000円。メイン料理に、リングイネというパスタを食べたが、ムール貝がたくさん入っていておいしかった。

 料理を待つ間、窓から外の風景を眺めていた。公園の森の木々が見えた。窓枠が額縁のようになって、風景画を見ているように見えた。

窓からの風景。公園の森が見える。

 絵画を見たせいで、物の見方が少し変わったようだった。

 帰りの電車の車窓からの景色も風景画を見ているようであった。人々の姿も何となく絵画的に見えた。

 しばらくはそんな感じが続いたのだった。

 

ホキ美術館

 JR外房線土気駅からバスで5分。入館料一般1,830円。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:パスカル『パンセⅠ』p98 中公クラッシックス

『星の子』〜子供の目から見た世の中

 信仰宗教に取り込まれた家族を、家族の次女であるちひろの目線から描いた物語。

 子どもがどのように親の宗教に巻き込まれていくのか、ということがよく分かるのだが、それを声高に訴えているものではない。

 それよりも、子どもが世の中をどのように見ているのか、何を感じているのか、何を楽しみにして、何を避けようとしているのかということが、よく書かれている。

 ちひろは、5年前の法事ででた弁当を楽しみに、一人で遠方の法事に出掛けて、弁当の中身が薄くなったことに心から落胆するのである。ほとんど話したことのない年上の嫌な男の子から「来なかったら殺す」と言われたのを真に受けて出かけていき、初めて行ったドーナツ店でドーナツを夢中で食べるのである。

 ちひろは、年齢よりも幼い感じである。宗教にはまっている両親とも仲良く、霊験あらたかな怪しい水を学校に持って行ったりしている。中学3年生になっても、両親を批判することもない。面食いで、格好良い男の子を次々と好きになるが、中学3年生になってからは、数学のスポーツマンタイプの教師が好きになり、ひたすら似顔絵を描く。その教師からは、酷いことを言われてしまうのだが、それでも案外ケロッとしている。

 児童文学や絵本で、子ども目線で書かれているものもあるが、大人が子どもの口調を真似て自分の言いたいことを言っていることが多い。この作者は、主張のようなものがなく、見聞きしたことをそのまま書いたという感じなのである。子ども自身は、言葉が未熟であるし、そもそも自分の感性は普通だと思っているから、それをことさら表現しようとしない。だからこういう作品はめったに現れない。

 稀有な才能だと思う。

 

 

 

アーティゾン美術館~「作品と空間」展

 アーティゾン美術館は、東京駅八重洲中央口から出て、徒歩5分のとても行きやすい場所にある。以前は、「ブリヂストン美術館」という名称だったが、新美術館として2020年に開館した。23階建ての高層ビル「ミュージアムタワー京橋」の1~6階が美術館となっている(展示室は4~6階)。

 入ると、広々とした吹き抜けになっている。カフェがあり、メニューを眺めていると、店員さんが来て、飲み物しかだせないと釘を刺された。中途半端な時間だったらしい。ホットコーヒーを注文。650円。カフェでは、マダムっぽい人々がお茶を楽しんでいた。コーヒーは濃いめで、砂糖とミルクを入れるとちょうど良かった。店員さんたちは、みな手袋をはめていて、清潔感を重視していることが分かる。

 さて、エントランスロビーから、エスカレーターで2階に上がる。2階にロッカーがあり、荷物を置いてエレベーターで6階に上がり、6階から順に下っていくという仕組み。

 なお、この美術館は予約制で、事前にウェブ予約チケットを購入しておくと、スムーズに入館できる。(この日の展覧会は、ウェブ予約で1,200円)

 

「空間と作品」展

 当日は、「空間と作品」展を開催していた。これは、美術品がもともとあった生活空間を再現してみるという試みである。展示されているのは、すべてアーティゾン美術館が保有しているコレクションである。

 たとえば、ピアニストのホロヴィッツの居間には、ピカソの「腕を組んで座るサンタバンク」という絵が飾られていて、その写真とともに、居間が再現されている。そもそも美術品は、個人に買われて居間や書斎に飾られるものであったことに気づく。

 そのほか、丸山応挙の襖絵(かわいらしい子犬の絵)の日本家屋の畳の間が再現されていて、畳に上がって絵を見ることができたり、おしゃれなリビングが作られていて、イスに座って作品を眺められるようになっていた。

 もともとブリヂストン美術館の所蔵品なので、見覚えのある作品が多かったが、初展示として豊臣秀吉の書簡といったものもあった。秀吉の字はのびやかで闊達であった。

 基本的に写真撮影は可(非営利かつ私的目的のみ。撮影禁止の作品を除く)。鉛筆でのスケッチも可。予約制のためかそれほど混んではおらず、ビューデッキなどの休憩コーナーもあり、ゆっくりできる。展覧会は、随時開催されているようなので、また時間のできたときには訪れてみたい。