JR大垣駅は、わりと大きな駅だった。JR以外にも、樽見鉄道と養老鉄道の起点となっている。
大垣は、松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えた場所。奥の細道をたどる散策路(ミニ奥の細道)が整備されている。
大垣城の昔の外堀が水路(水門川)になっている。水路沿いの散策路に、芭蕉が詠んだ順に句碑が建てられていて、それを辿っていくと奥の細道を擬似体験できるという趣向である。駅構内の案内所で観光マップがもらえる。
句碑は22基あり、句の解説とその地域の紹介がされている。
水路の水は、きれいだった。ところどころに自噴井(じふんせい)があり、人々が水を汲みに来ていた。水が湧いているところには、神社があることが多いようだ。
遊歩道には、桜並木もある。訪れたのは2月の初旬で人通りはなかったが、春になればにぎわうのだろう。その頃には、たらい舟に乗ることもできるらしい。
寄り道もしながら、40~50分ほどで、「奥の細道むすびの地記念館」に到着。喫茶コーナーや土産物売り場もある。喫茶コーナーでは、うどんなどの軽食や飲み物、ワッフルなどの甘味も売っている。甘酒を飲み、一服する。
記念館は、入館料300円。入り口に3Dシアターがあり、芭蕉の旅がよく分かる。3Dメガネを掛けて視聴。
館内では、芭蕉の足跡をパネルで紹介したり、旅で使う道具などを展示していた。芭蕉は、当時としては高齢で、健康状態も良くなかったそうだが、よく歩いたものだ。
記念館の前には、芭蕉とその弟子曽良の像があった。なぜか離れている二人。芭蕉は、曽良に荷物を持たせていたそうだが。
帰りは、大垣城に寄る。城の横の公園では、家族連れなどが和やかに遊んでいた。復元された本丸は、こぢんまりしていた。ここを関ケ原の戦いのときに、石田三成が西軍の本拠地にした。江戸時代になってからは、11代にわたって善政が続いたとのことで、大垣の人々は恵まれていたようだ。芭蕉も奥の細道の旅を終えて、ここで一休みしたそうだし、良い所だったのだろう。
大垣城には観光客がわりといた。中にも入れるが、疲れたのでパスする。休日のせいか大垣駅前の商店街は、シャッターが閉まっている店が多く、閑散としていた。うどん屋に入ったが、満員で断られる。寿司屋に入って、寿司と天ぷらと茶碗蒸しのセットを注文。1,200円。味は、まあ普通だった。
ゆっくり散策して二時間程度。芭蕉のようにどこかに旅に出たくなった。