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「三四郎」夏目漱石~田舎者の目から見た東京人物図鑑

 夏目漱石の「三四郎」を読んだ。読むのは二回目か三回目である。今回は、寝る前に布団の中で少しづつ読んだ。すぐに眠くなるので、読み終わるのにひと月くらいかかった。少しづつ、話が進んでいくので、こういう読み方も面白いと思った。

 明治時代の終わり頃。田舎の秀才小川三四郎は、故郷の熊本から東京の大学に進学するため上京した。それから一年くらいの間に三四郎が見聞きしたことがこの小説の内容である。

 三四郎はうぶな青年である。上京する汽車の中で一緒になった年上の女性と名古屋で同宿することになり誘惑されるが、防御線を張って一夜を過ごし、「あなたはよっぽど度胸がない人ですね」と言われる。

 三四郎は田舎者である。路面電車や人の多さや東京がどこまでいっても無くならないことに一々驚く。

 大学の講義には最初はやる気を見せる。しかし、学期になっても講義はなかなか始まらない。始まったら始まったで、だんだんやる気を失いノートも取らなくなる。勉学よりも刺激的な都会の生活に興味が移る。さもありなん。

 汽車の中で知り合った広田先生は、知識も豊富で深遠な思想を持っているようなのに、世の中には出ようとせず、やる気のないようなことばかり言っている。これも三四郎には不可解である。その広田先生を大学教授にしようとして、大学生の佐々木は奔走する。佐々木が軽佻でいい加減なのにも三四郎は面食らう。

 佐々木の案内で、三四郎はサロンのようなところにも出入りする。洋食を食べたり、観劇をしたり、絵を観に行ったりするが、平凡な感想を持つだけである。広田先生に謎の洋書を渡されて、さっぱり意味が分からず、なぜこの本を渡したのだろうと不思議がる。

 同郷出身で物理学者の野々宮と知己となる。その妹のよし子とその友人の美禰子とも知り合う。美禰子は三四郎とおない年だが、精神年齢は上である。三四郎は、美禰子に恋をする。美禰子は、「stray sheep ストレイ・シープ」(迷える子羊)と謎めいた言葉を告げ、それが三四郎の頭にこびりつく。三四郎は、大学の講義の間中ずっとノートに「stray sheep」と書く。馬鹿である。

 美禰子も三四郎に気があるような素振りも見せるが、おちょくっているだけのようにも見える。最後に、「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」とまた、謎の言葉を残して、年上の男性と結婚する。これは、「その気がないのにおちょくってごめんね」と言っているのか、気の乗らない相手と結婚する自分のことを言っているのか。多分その両方なのだろう。

 三四郎は、素朴で単純な青年である。三四郎自身の内面はほとんど描かれないが、そもそもそんなものはないのだろう。ただ驚いたり、素朴に反応するだけである。

 漱石は熊本の高等学校の先生をしていたし、東京帝大でも教えていたので、こういう学生を見ることは多かったのだろう。

 そういう学生の目を借りて、都会の人士を描写してみせたのがこの作品と言えそうである。そういう意味では、三四郎は「吾輩は猫である」の猫の役割を担っている。

 「三四郎」「それから」「門」と三部作といわれているが、「三四郎」は「それから」や「門」とはだいぶテイストが違うように思えた。

 「三四郎」を最初に読んだのは、高校生のときである。このときは、つまらなくて途中で投げ出してしまった。それからだいぶ経って、読み返してみると面白かった。優れた作品は、再読してみるものである。

 なお、三四郎は、きれいな東京言葉を使っているが、熊本弁は抜けたのだろうか。「矛盾ばい」などと呟く三四郎も面白いと思う。