寝しなに『彼岸過迄』を読んだ。一月くらいかかった。
【彼岸過迄】
このタイトルはカッコ良いのだが、実は内容とは無関係。大病から復帰した漱石が、新聞小説を連載するにあたり、彼岸過ぎまでには終わらせると言ったことが、小説のタイトルになった。
まえがきで漱石は「自分は何派でもないが、面白い小説を書きます」というようなことを述べている。また、大体の素案はあるが、書いてみないとどういう方向に進むかも分からない、とも書いている。
【中途半端な探偵】
例によって、主人公は無職でぶらぶらしている敬太郎という若い男である。村上春樹の小説でもたいてい主人公は無職の暇な男であるが、そういう世間から外れた、ぽっかりあいた空間に、物語は生まれるのかもしれない。
さて、敬太郎は東京の大学を出て、一応求職中である。とはいえ、切羽詰まった感じはなく、何か面白そうな仕事はないかなと思いながら、ぶらぶらしている。実は、ロマンチストで、冒険をしたり、探偵をするような仕事に憧れている。しかも、占いを信じたりしている。このように、敬太郎は凡庸な、考えの浅い男である。
敬太郎はまず、同じ下宿に住む森本という男に接近する。森本は、役所勤めだと言い、国鉄の整備員のようなことをしているようだが、真面目に働いている様子はない。自分は色々な冒険をしてきたのだと吹聴し、敬太郎も真に受ける。ところが、ある日、森本は下宿代を踏み倒して姿を消し、敬太郎の手元には森本が残していった杖が残される。それは、森本の手製の蛇の頭の彫刻のついた変なものであった。
冒険の夢からやや覚めた敬太郎は、やはり就職しなくてはと、大学の同級生の須永という友人に相談する。須永も大学を出て、こちらは成績優秀なのでいくらでも就職先はあるのだが、ぐずぐずと先延ばしにしている。お馴染みの高等遊民である。敬太郎は、須永に、なんか探偵みたいな仕事がしたいんだけど、などと話す。
敬太郎は、須永の紹介で、須永の叔父の田口を紹介される。田口は実業家で、世間知に長けた現実的な男である。
多忙な田口にやっと面談できた敬太郎は、家の用事でも何でもやります使ってください、と下手に出る。後日、敬太郎の元に届いた手紙には、ある日時に電停から降りてくるある人物を尾行して、その動静を報告せよ、と書かれていた。
【尾行】
例の杖を持って、敬太郎が現場に行ってみると電停のホームは二箇所あり、どちらを見張ればいいのか分からない。気になる女性を見かけたりして、雑念が次々と起こる。その内、指定された時間帯を超えてしまい、見逃したかなと思ったりする。諦めかけたとき、田口から聞いていた風体の男が現れ、さっきから気にしていた女性と楽しげに連れ立って行くではないか。敬太郎は追跡を開始する。
二人が入ったのは、とある西洋料理店であった。この店には敬太郎も入ったこともあり、手持ちの金で何とかなりそうだ。敬太郎は、二人に近い席に陣取り、会話に聞き耳を立てる。しかし、二人は楽しそうに談笑しているだけで、会話の内容は、よく分からない。
敬太郎は、二人に気づかれないように先に出て、雨の中、男の後を跡けるが、何も得るところなく、ただ疲れて引き揚げる。(このあたり、素人が尾行などしても、苦労ばかりでうまくいかないとことが、リアルに書かれていて、面白い。漱石も似たような経験があったのだろうか)
さて、敬太郎は、田口に報告する段になり、正直に経過を説明して「結局は何もわかりませんでした」と告白する。そして、「その人のことを知りたいなら、尾行などするよりも、直接尋ねた方が早いと思います」と開き直る。
すると田口は「あなたはそれだけのことが分かっているなら、人間として立派なものだ」と言って褒め、敬太郎は就職することができるのである。
種明かしをすると、敬太郎が尾行をしたのは、田口の義理の弟の松本という男で、松本が会っていた女性は、田口の長女の千代子だった。敬太郎は、田口のいたずらに付き合わされたのである。
【優柔不断な男】
探偵の物語は、これで終わる。後半は敬太郎の友人の須永の恋愛譚が中心となる。一応、関係者が敬太郎に語るという形で小説は進行するが、敬太郎が探偵をしているわけではない。
須永には、昔からの許嫁がいる。田口の長女の千代子である。千代子が幼い頃に、須永の母と田口が、千代子を須永の嫁にすると約束したらしい。そのせいか、千代子はよく遊びに来ていたし、須永と千代子は幼馴染として育った。
なお、須永の父は他界しており、須永は母と二人暮らしである。須永は母が好きで、ちょっとマザコン気味である。
さて、許嫁の二人は長じるにつれて、性格の違いが際立ってくる。明るく無邪気で率直な千代子に対して、須永は頭は良いが、内向的でウジウジと思い悩むタイプなのである。須永は、千代子に惹かれながらも、自分と結婚しても千代子を失望させるだけだなどと考えて、なんとなく破談に持ち込もうとする。千代子は須永を好きなようだが、須永からは見下されているように感じている。
千代子一家が鎌倉に海水浴に行くことになり、須永親子も招待される。重い腰を上げて参加した須永だが、そこには高木という若い男が来ているのを知り機嫌を損ねる。高木は、英国帰りの紳士で、溌剌としたスポーツマンという、須永と真逆の人物なのであった。これは須永のコンプレックスをいたく刺激した。
みんなで泳ぎに行こうと言っても、須永は行かないと言うし、船遊びに行ったときには、千代子に高木の横に座るように勧めたりする。要するに、須永は嫉妬しているのであるが、それが屈折した形で出てくるのである。須永は、千代子と結婚をするつもりはないと思っていたはずなのに、高木が現れると嫉妬心に囚われてしまうことに驚き、自分自身が分からなくなって、ぐるぐる悩み始める(そんなに悩まなくてもいいのでは、と言いたくなるくらい悩む)。
鎌倉から帰った千代子は須永の家に遊びに来る。須永は、千代子と高木がどうなったか気になって仕方がないが、プライドが邪魔して尋ねられない。しかし、千代子が帰る間際になってつい気が緩み、須永は高木のことを尋ねる。そして千代子から、「嫉妬するなんて、あなたは卑怯です」と言われてしまう(このあたりのやり取りはなかなかスリリングである)。
その後、須永は松本に悩みを告白し、松本から自分の出生の秘密を知らされた須永は、一人旅に出るのであった。
【締めくくり】
このように前半は素人探偵の失敗談で、考えの浅い若者が、謎の指示を受けて翻弄されるというユーモラスな話なのだが、後半は自意識過剰な男が人生や恋愛関係に悩むという真面目な話になっている。最後に作者は、エピローグとして、「結局のところ、敬太郎は就職はできたものの、ただ人の話を聞いたばかりで、彼らの人生に入り込むことはなかった。まあ、それはそれで幸せなんだけどね」などと無理やり締めくくっているが、どうみても前半と後半は別の話である。おそらく、「世の中の探偵」みたいな感じて、ある若者を泳がせてみると面白いだろうと書き始めたところ、何だか深刻なテーマが出てきて、その方に話が進んでいったといったところではなかろうか。漱石も最初に、話がどうなるかは分からない、と書いているが、その通りになっている。そういう意味で、完璧な作品ではないだろうが、自然発生的(spontaneous)な感じがあり、面白く読んだ。
漱石は、探偵という職業に関心が高いようで、『吾輩は猫である』にも探偵の話が出てくる(ここでは、探偵はスリ、泥棒、強盗の一族だとけなしている)。同作の猫は、小説の中の探偵役であるともいえる。また、『三四郎』は、田舎出の素朴な若者三四郎が、東京で見聞きした人間模様を描いたものだが、本作の敬太郎も同じような立ち位置にある。
なお、須永のキャラは、次作の『行人』の一郎に引き継がれていく。