【あらまし】
アウシュビッツ収容の司令官ルドルフ・フェルディナント・ヘスとその一家の話。実話に基づく。なお、ナチス副総裁のヘスとは、別人物である。
ヘス一家は、収容所の隣に広大な屋敷を構えている。広い庭園があり、花や野菜を育て、プールや温室まで完備。夫婦には5人の子どもがいて、すくすく育っている。休日には、湖で水遊び。夫の誕生日には、サプライズでボートをプレゼント。絵に描いたような幸せな生活である。
しかし、妻が身に付けている毛皮のコートや宝石はユダヤ人から没収したもの。夫は、いかに効率的に「荷物」を焼却するかに腐心している。収容所の空は、夜な夜な赤く燃え上がり、悲鳴がこだまする。
やがて夫は昇進し、転属を命じられる。妻は、転居を拒否。夫は単身赴任で新しい任地へ。夫は、新しい処分方法を思いつき、もうすぐアウシュビッツに戻れると、嬉しそうに妻に電話をする。
【関心領域】
ナチスでは、隠語をよく使っていたようで、「関心領域」というのは、東方支配地域を指すのだとか。
そして、このタイトルは、ヘス一家が自分たちの豊かな生活の基盤が、ユダヤ人を焼き殺していることであることに無関心であることも意味しているようだ。
特に妻は、自分で「アウシュビッツの女王」などと言って、もはや開き直っている。理想の生活を手に入れたと、これを維持することに執着している。
夫は、出世と家族との生活の両立に悩む。しかし、自分の仕事の内容に悩む様子はない。
しかし、すぐ隣で収容者を焼く煙が上がっているのだから、見ないふりをするのにも限界がある。
妻は何となくイライラしているし、夫も身体がおかしくなっている。女の子は、毎晩眠れず廊下でうずくまる。遊びに来た妻の母は、娘の幸運を祝福するが、何も言わずに逃げ帰ってしまう。
幸福そうに見えて、破綻が見え隠れしているのである。
【とはいうものの】
映画「オッペンハイマー」でもそうだが、 どこかを麻痺させ、思考停止にならなければ、原爆を作ることや使うことなどできるはずもない(だからオッペンハイマーは、戦後に苦しんだ)。そして、目的のためには思考停止をできてしまうのが、人間というものなのだろう。
共感性というものは、もともと人間に備わったいるものだろうが、人為的に、あるいは状況的に停止させることもできるようだ。そして、それは普通の人から見れば、「怖しい」と映る。
とはいうものの、「関心領域」を広げ過ぎると、混乱してしまう。情報過多になって、処理できなくなるのだ。特に昨今はは、放っておくと情報がどんどん入って来るので、フィルターをかけることの方が大事だったりもする。その一方で、最近の人はスマホで自分の気にいる情報だけしか見ないので、関心が偏りがちだとかいう話も聞く。
人にとっての適度な「関心領域」は、どの辺りであろうか。もともとヒトは、小集団で暮らし、交流したのは生涯でせいぜい300人程度であったという説を聞いたことがある。知り合いを含めて、把握できる範囲はこのくらいであるのかもしれない。
「関心領域」の一家は極端な例ではあるが、適度な「関心領域」を保つのは、なかなか難しいことであると感じた。
「関心領域」
★★
こういう作品は、観る側に受け取り方を強いるようで、あまり好きではない。告発物なら、ドキュメンタリーで良いのではと思ってしまう。エンディングの音楽は、単調な音階が繰り返されるなか、人の騒ぎ声がキイキイいうようなもので、押し付けがましく、ただ不快であった。