【あらすじ】
1943年、ポーランド人でユダヤ教徒のヘルツコ・ハフトは、アウシュビッツに収容された。身体が強いのを見込まれて、ナチス将校の主催する収容者同士の賭けボクシングのボクサーになる。負けた者は、殺されるという過酷な試合。ヘルツコは、勝ち抜き、生き残る。
戦後、アメリカに移住したヘルツコは、ハリー・ハフトと名前を変え、ボクサーになる。負けが込んでも格上のボクサーと試合をするのは、かつての恋人レアに消息を知らせるためだった。
ボクサーを引退して、妻と雑貨店を営むハリーの元にある知らせが届く。それは、レアの消息に関するものだった‥‥
【実話】
実話に基く作品。原作は、ヘルツコの息子のアラン・スコット・ハフトが書いた父の伝記。
本当なら、凄い話である。生き残るためとはいえ、同胞を殺さなければならない。最後には、親友とのマッチまで組まされる。
戦後、同胞からは裏切り者と言われ、罪悪感とトラウマに苦しむ。
レアとの再会が映画のとおりであったなら、実に数奇な運命である。
映画の最後に、ヘルツコは妻のミリアムと共に長生きし、3人の子、孫たちにも恵まれたと紹介される。良かった。
【ナチス】
ナチス親衛隊中尉のシュナイダーは、ヘルツコの才能を見抜いてボクサーに仕立て上げる。シュナイダーは、どこか虚無的である。ナチスがユダヤ人を支配するのは歴史の成り行きだが、第三帝国もいずれ滅びると言う。将校たちがユダヤ人同士を戦わせるのは、暇つぶしである。シュナイダーはヘルツコを見下しながら、友情のようなものも感じている。ヘルツコからは拒絶されるが。ヘルツコへのアンビバレントな感情が、残忍な行為に駆り立てているようでもあった。そして、最後はしっぺ返しを食う。
【ボクシング】
ナチスの将校にせよ、アメリカ人の観客にせよ、ボクシングの観客は、似たようなものだ。スポーツとしてのボクシングを否定するつもりはないが、二人の男を殴りあわせて楽しむというのは、いい趣味とは言えない。
ヘルツコは、戦後、なぜボクサーになったのか。恋人に自分の消息を知らせるためだというが、それなら他の方法があったのではないか。
トラウマ体験を繰り返すことで、トラウマを乗り越えようとする荒療治であったのか。あるいは、勝ち続けた代償として、ボロボロに負ける必要があったのか。
トラウマを乗り越えるのは、ときに一生をかけた仕事になる。あるいは何代にも渡ることさえも。息子のアランが父の伝記を書いたのも、その一環であったのだろう。
【まとめ】
戦争の悲惨さ、理不尽さがまっすぐに伝わる作品である。ヘルツコ・ハフトの数奇な運命といい、ドラマとしても見応えがあった。作品は、回想形式を取り、クライマックスに向けて、よく組み立てられていた。いつもながら、収容者から、ボクサー、老後まで一人で演じた俳優には、感心する。
アウシュビッツの生還者
ドラマチック ★★★★★
メッセージ性 ★★★★
感動 ★★★★