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映画「6月0日/アイヒマンが処刑された日」~歴史的事件の後始末に奔走した無名の人々

【あらまし】
 アイヒマンの処刑と遺体の処理にまつわるドラマ。
 1961年。アイヒマンは、潜伏先のアルゼンチンからイスラエルに拉致され、裁判にかけられた。判決は絞首刑。刑の確定後、ただちに処刑される。問題は遺体の処理。
 遺体は遺族に引き渡さなければならない。しかし、それはできない。アイヒマンの墓地が作られ、神格化されるかもしれないからだ。
 かくして、アイヒマンの遺体は焼却されることになった。しかし、ユダヤ教は火葬を禁じているので、遺体を焼く設備はない。刑務官が旧知の鉄工所の社長に焼却炉の製作を依頼する。そして、できあがった焼却炉が刑務所に運ばれ、アイヒマンの遺体は灰になり、イスラエル領海外の海に撒かれる。
 物語は出来事の経過を追いつつ、①鉄工所で働くアラブ系の少年ダヴィッド、②アイヒマンを監視する刑務官、③アイヒマンの取調べをした捜査官の視点から、歴史的な事件に関わった人々の具体像を描く。
【焼却処分】
 刑務官が個人のつてで、鉄工所の社長に焼却炉の製造を依頼したのは、遺体の焼却が表沙汰にはできない措置であったからだろう。火葬ではない。ただ、焼いて灰にしただけである。焼却処分は、ナチスが行ったことの仕返しであり、アイヒマンが二度と復活しないようにする意味も込められているようだ。ドクロになったアイヒマンの頭蓋骨をホロコーストの生き残りの板金工が打ち砕くシーンが象徴的であった。
 焼却炉作りに活躍するのが、アラブ系の少年ダヴィッド。アイヒマンの裁判に無関心なことで学校から追い出された少年が、アイヒマンの遺体を焼く焼却炉を造ったという皮肉な話になっている。(実話かどうかは不明。作品の最後で示唆される)
アイヒマン
 哲学者ハンナ・アーレントに「悪の凡庸さ」と言わしめたアイヒマン拘置所では、おとなしく過ごしている。鳥の図鑑を見たり、レコードでベートーベンのピアノソナタを聴いたり。刑務官は、アイヒマンに対して、複雑な感情を抱く。しかし、適法に裁判を行うために、アイヒマンの生命を守らなくてはならない。アイヒマンに近づく人物が勝手に復讐しないよう、その一挙手一投足にも気を配る。これも矛盾である。
 独房でアイヒマンが聞いていたレコードの曲が流れる。ベートーベンのピアノソナタ悲愴の第二楽章。静かな美しい曲である。この凡庸な人物を処刑することの虚しさが伝わってくる。
【遺灰は語らなかった】

 映画「遺灰は語る」は、戦後のイタリアの話で、ノーベル賞作家の遺灰が故郷のシチリアに埋葬されるまでの顛末であった。アイヒマンの遺族からは、遺灰を引き渡せという要求はなかったのだろうか。ちょっと疑問であった。

 

6月0日 アイヒマンが処刑された日
意外な視点 ★★★★
歴史を学ぶ ★★★
ユーモア  ★