晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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映画「キエフ裁判」〜事実の耐えられない重さ

【概要】

 第二次世界大戦終結後、ソ連ナチスの将校を被告とする軍事裁判が開かれた。本作は、実際の裁判の記録映像を編集して作られたもの。

 1941年、ナチスドイツは、キエフを占領下に置き、在住のユダヤ人を殲滅する作戦を敢行した(バビ・ヤールの大虐殺)。その後も、ユダヤ人だけではなく、ロシア人、ウクライナ人、ロマの人々も含め、1943年までにおよそ10万人が殺されたという。*1

 裁判では、ソ連の軍人が裁判官と検察官を担当する。被告は15人。虐殺を命じた幹部や実行した将校らである。裁判が行われたホールは、大勢の市民が詰めかけている。

 裁判官が被告人に質問をして、被告人が答える。全員について終わると、証人が証言台に立って、裁判官の質問に答える。証人は、ホロコーストを見た人、何とか生き延びた人などである。最後に検察官の求刑、被告人の最終陳述がある。そして、判決。全員につき、絞首刑が言い渡される。

 場面が変わり、広場での公開処刑が行われる。その周りを幾重にも取り囲む群衆。ソ連の軍人が高らかに処刑を命じ、15人は首吊りになる。

【バビ・ヤール】

 バビ・ヤールは、キーウにある峡谷である。1941年9月29日から30日にかけて、ここに3万7771人のユダヤ市民が連行され、虐殺された。

【軍事裁判】

 通常の裁判とは、異なる。一応、裁判の体裁はとっているが、被告弁護人はいない。被害者の市民が取り囲む中で、勝者が敗者をが裁く。結論は、初めから見えている。

【被告人たち】

 被告人席に並ぶ被告人たちは、大虐殺を起こしたような極悪人には見えない。むしろ、どこかの田舎の役所の職員一同といった感じである。

 被告人たちは、上官に答えるように、大きな声でハキハキと真面目に答える。事実は認めるものの、「総統に従っただけだ」「自分は全部を把握していない」「やらないと自分が殺さらた」等々、罪の意識を感じているようには見えない。最終陳述では、「死刑は当然」という者もいれば、「これからどうすればいいか、ロシアの皆さんと考えたい」と言う者もいた。

【証人たち】

 当時の様子を目撃した老人、強制収容所に送られた女性、処刑されそうになったが撃たれたふりをして、死体を埋めた穴に落ち、何とか脱出した女性などが体験を語る。被告人たちと違い、人それぞれ個性があり、人間的であった。

【感想】

 淡々と映像が流される。通訳が入るので、質問と答えに間がある。被告人ごとに同じ質問がなされ、皆同じように答えるので、眠くなった。

 ハンナ・アーレントは、アイヒマンの裁判を傍聴して、アイヒマンがあまりに平凡なので、「悪の凡庸さ」と表現した。

 この「キエフ裁判」の被告人たちも凡庸であった。これほどの大虐殺を行ったのだから、血も涙もない極悪人というのなら分かるが、こんなに平凡な人たちになぜこんなことができたのか。

 被告人たちは、正直に答えていたのでなかろうか。当時の国の方針だから、それに沿った行動をした。やるからには、効率的に行わなければならない。幹部は計画して命令し、実行部隊は上官の指示に従った。

 官僚組織とはそうしたもので、一人一人の意見や感想などは求められず、役割に徹しなければならない。誰一人、全体は見えておらず、目の前の仕事を淡々とこなす。

 つまり、真面目で職務に忠実で、凡庸だからこそ、このようなことができたのではないか。

 彼らも、平和な時代であれば、善良な市民、良き社会人、良き夫、良き父親として、平凡な人生を送れたのではあるまいか。

 見終わった後、何とも言えない重いものが残る作品であった。

 

キエフ裁判

ドキュメンタリー ★★★★★

シリアス     ★★★★★

 

 

*1:ウィキペディアの記事による。