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映画「エドガルド・モルターラ」~心の臨界点

【あらすじ】(ネタバレあります)

 実話に基づく。十九世紀の半ばのイタリアはボローニャユダヤ人街で暮らす一家の元に、突然、ローマ教皇からの使者がやってくる。一家の子どもの内の一人、7歳のエドガルドを差し出せ、というのである。

 その理由は、エドガルドが赤ん坊の頃にキリスト教の洗礼を受けたから、というもの。ユダヤ人一家に育てられているキリスト教徒を救い出すという名目らしい。

 強引に連れていかれるエドガルド。必死で止めようとする父母。父母は様々な手を尽くしてエドガルドを取り返そうとするが、成功しない。

 一方のエドガルドは、キリスト教徒の寄宿舎のようなところに入れられて、大事に育てられ、キリスト教徒としての教育を受ける。賢い子で、時のローマ教皇ピウス9世にも愛される。

 長い年月が流れる。市民の反乱がローマ教皇領を襲う。軍隊の先頭に立つのは、エドガルドの兄。しかし、懐かしい兄に再開したはずのエドガルドは、兄の救いを拒否して、キリスト教徒として生きていくことを選ぶ。

【勢力争い】

 ローマ教皇が子どもの連れ去りを繰り返していたのは、幼い子を洗脳してキリスト教の尖兵に仕立て上げようとしたからである。カトリックでは、当然ながら子どもを作ることができないので、どこかから連れて来るしかない。エドガルドが幼児洗礼を受けていたというのは、ほとんど言いがかりであり、実際はモルターラ家で働いていた家政婦が赤ん坊のエドガルドが煉獄に落ちると思い込んで、勝手に洗礼の真似事をしたに過ぎないのだった。

 この時期、イタリア統一に向けた動きが強まってくる中で、教会とローマ教皇の権威は、危うくなっいてた。エドガルドは、そのような勢力争いに巻き込まれたのであった。

 それにしても、このローマ教皇ピウス9世は、まったくマフィアのドンのようだった。映画「ゴッドファーザー」では、ドン・コルレオーネは、子分たちに手に接吻をさせて忠誠を誓わせるが、ピウス9世は、自分の靴に接吻をさせて臣下の忠誠を確認している。

【心の臨界点】 

 エドガルドの一家は、敬虔なユダヤ教徒であった。幼い頃から、エドガルドはユダヤ教のお祈りの言葉を覚え、それは母との絆になっていた。連れ去られた当初、エドガルドは、「一生懸命キリスト教を学べば、早く家族に会える」と言われて、模範的な生徒になる。1~2年経って、父が会いに来たときには固い表情を見せたが、母が来たときには、「ママと一緒に帰りたい」と叫んで、感情を爆発させた。ところが、10年後に兄が会いに来たときには、兄を拒否して帰らなかった。その時にエドガルドは「僕は自分で選んでここに来たのだ。ここに来て幸せだ」と言う。そして、ピウス9世が死去したのちも教会に留まり、父と母が迎えに来ても応じず、司祭として一生を終えた。

 エドガルドは、連れ去りがなければ、敬虔なユダヤ教徒として家族共に生涯を送ったであろう。しかし、7歳の頃に連れ去られてキリスト教徒して教育をされたため、根っからのキリスト教徒になってしまった。

 語学は9歳までに始めないと、母語としては身に付かないと言われる。それと同じように、成長のある時期に刷り込まれたことは、一生抜けないのであろうか。いわば、心の臨界点のような時期があるのだろうか。

 

 

エドガルド・モルターラ

★★★