【あらすじ】
ルーマニア、トランシルバニア地方の田舎の村。若者は出稼ぎに出ている。村での職場は、パン工場くらいしかない。しかし、低賃金で働き手がいない。
ドイツに出稼ぎに出ていた男が帰ってくる。出稼ぎ先の食肉工場で暴力沙汰を起こし、逃げてきたのだ。久しぶりの我が家だが、妻は塩対応。幼い息子は、登校を渋り、何かあったのか口をきけなくなっている。男は、息子を甘やかすなと言い、妻と口論になる。
さびしい男はかつての恋人とよりを戻す。その恋人は、パン工場の採用責任者。人手不足のため、3人のスリランカ人を雇い入れる。
この村には、ルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ人系の人々が住んでいる。かつては、ロマ(ジプシー)もいたが、追い出したと村人は誇らしげに語る。
スリランカ人のパン職人に、村人は過剰に反応する。「3人を受け入れると、どんどん増える」、「スリランカ人がこねたパンは食べられない」、「ウイルスを持ち込む」などと言って、出ていけと迫る。殺人予告がされたり、火の点いた棒が投げこまれたりする。
村長主催の討論会が開催される。多数を占める排外派とパン工場関係者を中心とした受け入れ派の対立。多数派の優勢で進んでいたところ、男の父が山で首吊りをしたという知らせが届く。
みんなでぞろぞろと山に向かう。父の遺体を下ろしたところ、息子は初めて、「パパ、愛している」と言葉を出した。
しかし、父の葬式の後、妻は子を連れて実家に帰り、男は居場所を失ってしまう。彷徨の果てに、山で男が見たものとは?
【多言語】
村では、ルーマニア語、ハンガリー語、ドイツ語、英語、フランス語が飛び交う。字幕では、ルーマニア語は白、ハンガリー語は黄色、その他の言語はピンクで表示されて、見分けが付くように工夫されていた。
同じ人同士の会話でも、違う言語を使い分けたりもしている。日本ではちょっと考えられないが、ヨーロッパの国では、いくつかの言語を使う方が一般的らしい。日本の方が特殊なのだ。
ウィキペディアによれば、「ルーマニア」という国名は、「ローマ人の土地」という意味だが、ローマ人の支配の後も遊牧民族のフン人やブルガール人、中世ではオスマン帝国やハンガリー王国、ハプスブルグ家の支配を受けるなどし、近代になって「ルーマニア王国」となった。ルーマニアといっても、いくつかの公国をまとめたもので、トランシルバニアにも独自の歴史がある。
色々な言語を使うのには、歴史的な背景があることが分かる。
【排他性】
この村は、取り残されている。鉱山があったが、自然保護のために閉鎖され、仕事がない。EUからの補助金では公園が作られるが、村人は舗装道路の方が必要だと言う。若者は出ていく。山には、得体の知れない連中がうろついているらしい。外国人が入ってきて、乗っ取られるのではないか。表面上は、和気あいあいと暮らしているが、根底には不安がある。
そこへ見た目や文化が異なるスリランカ人が入ってきたことが、発火点となる。穏やかだった村人が、暴走を始める。
人は、余裕がなくなると、似ているものと同調し、違うものを排除する。映画「福田村事件」でも同じテーマが扱われていた。
この村では、多数派のルーマニア人、比較的少数派のハンガリー人、かなり少ないドイツ系の人らがグループを作り、さらに小グループに分かれるようである。人が気心が知れて付き合えるのは、150人くらいが限界なんだとか。人の特性として、小集団を作り、危機が生じると他を排除したくなるのは、やむを得ないことのようである。
日本のどこかでも起こりそうな話であった。
【謎】
結局、山で息子が見たものは何だったのだろう?なぜ急に喋るようになったのか。
男が最後に見たものは、何を意味するのか。
人間がしてきたことへの自然からの仕返し、といったようなことのように思えたが、はっきりとはしなかった。
原題は「R.M.N」。これは、病院の検査で使うMRIのこと。男の父が病院でMRI検査を受け、その画像を何度も見る。
物事は、多層的であるということを示そうとしたものだろうか。
なお、「ヨーロッパ新世紀」という邦題から想像されたのとは、だいぶおもむきが異なる作品であった。
ヨーロッパ新世紀
シリアス ★★★★★
社会派 ★★★★
ミステリー ★★