【映画のあらまし】
関東多大震災の後、福田村(千葉県野田市)で実際に起こった行商人虐殺事件を題材にした作品。事件の背景となる村民の人間関係などはフィクションと思われる。
群像劇である。中心人物は、朝鮮半島から福田村に引き揚げた夫婦。夫は元教師だが、朝鮮半島での虐殺に関わり、トラウマを抱えている。そんな夫に妻は不満を抱き、夫婦仲は冷めている。村長と在郷軍人会長は、元教師の同級生。デモクラシー信奉者の村長と在郷軍人会は緊張関係にあり、言動が勇ましい在郷軍人会が勢いを強めている。村のコミュニティーから外れたところにいるのが、元教師夫婦と利根川の渡しの若い船頭の男とその愛人の戦争未亡人。
そんな折り、関東大震災が起こり、朝鮮人が暴動を起こしているとのデマが流れ、国からも朝鮮人に警戒するようにとの通達が下りる。それを見て在郷軍人会は自警団を組織。今か今かと待ち構えているところに、はるばる讃岐からの薬売りの一団がやってくる。ちょっとしたトラブルで諍いが起こり、言葉の違いから、朝鮮人だと決めつけられ、女性や子どもを含めた九人が殺されてしまう。
【集団心理】
事件の場面は、凄惨で見てはいられない。被害者には落ち度はない。しかも子どもや妊婦まで含まれている。
加害者を突き動かしたのは恐怖心のようである。貧困や徴兵といった背景の上に、震災が起こり、不安やストレスが高まっていたのだろう。政治的に朝鮮人に関する悪意のある報道やデマが流され、人々はそれを信じ込んでいた。
在郷軍人会のメンバーは、使命感や村民からの期待に応えようとして、高圧的な態度で尋問し、薬売りの一団もそれに反発し、それに村民が反感を強め……という悪循環の中で、一人の行動がきっかけとなって、判断力を失って、雪崩を起こすように虐殺に突き進んでいった。
後になって見ると、なぜあんなことをしたのか分からない、となる。
【ジレンマ】
ユヴァル・ノア・ハラリによれば、人類がこれほど繁栄したのは、想像上の産物(神、お金、国など)の存在を信じ込むことができたからである*1。キリスト教や資本主義や国家などの概念を共有できたことで、知らない人同士でも協力し合えたという。人間は一人では大したことはできない。しかし、集団になれば偉大なことができる。
福田村の人々も色々なことを信じ込んでいる。「お国のために」と在郷軍人会のメンバーは繰り返す。「お国」とは、何のことだろう。百年後の今となっては、よく分からない。「朝鮮人」も概念である。朝鮮半島から来た人たちも、色々いるはずである。それが「朝鮮人」とレッテルが貼られた途端に、迫害の対象となってしまう。
概念や思想、信念のために愚かなことをしてしまうもの人間である。
【息苦しい】
前半のドラマ部分は、閉鎖的な村での息苦しい生活が描かれる。人間関係は濃密。そんな中で不貞や不義の子など、どぎつい人間関係が展開する。昔の農村は、こんな感じだったのだろうか。ドキュメンタリータッチなのかもしれないが、観ていてあまり良い感じはしなかった。
福田村事件
ドキュメンタリー ★★★★
シリアス ★★★★
*1:「サピエンス全史」