【あらすじ】
イギリスから、トルコの片田舎のリゾート地にバカンスに来た父と娘。
父はまだ、若い。31歳の誕生日を迎えたばかり。娘は11歳。思春期の入口に立っている。実は、二人は別々に暮らしている。娘が幼い頃、父と母は離婚したのだ。
父が用意したビデオカメラで、二人は交互に旅の様子を撮りあう。作品中、きめの粗いビデオの映像が挿入される。そう、これは20年後、当時の父と同じ年齢になった娘が、ビデオ再生しながら、当時のことを思い出しているという設定なのだ。
父と娘は、プール遊びをしたり、スキューバダイビングをしたり、浜辺で寝そべったりと、ゆったりと楽しく過ごしている。しかし、何となく、不穏な雰囲気が漂う。
娘は、もう子どもではない。年上の若い男女がいちゃついているのを見て、自分の中に何かか芽生えてくるのを自覚する。
父は、娘を愛している。娘との時間を楽しんでいるが、時々、暗い表情を見せる。娘に一緒に歌おうと誘われて断り、娘に歌のレッスンを受けるお金がないと言われると、娘を置き去りにして、辺りをうろついて夜の海に入る。
バカンスが終わり、空港で父と娘は別れる。娘は、何度も振り返り、父に愛していると言う。その様子を父はビデオで撮影する。娘を見送ったのち、父はビデオを止め、しょんぼりと出口に向かう。
【父と娘】
楽しいバカンスの情景なのに、ずっと不穏さがつきまとっている。しかし、何事が起こるわけでもない。
この不穏な、不安定な感じは、どこから来るのだろうか?
父と娘が仲睦ましく過ごせるのは、たぶんこれで最後である。娘は、これから大人になっていく。もう、後戻りはできない。
娘もそれは、分かっている。だから、このバカンスが続いてほしいと願う。
父の人生は行き詰まっている。離婚して、仕事もお金もなく、帰る場所もない。この先、いいことは何もなさそうだ。
娘は、父を励まそうとする。しかし、まだ父の憂鬱には、思いが至らない。それに気づくのは、20年後の今である。
アフターサンとは、日焼けをした後に塗るクリームのこと。作中では、父が娘に日焼け止めを塗っているシーンが何度かあった。危ういバランスの上で成り立った輝かしい日々。太陽の光が強かっただけに、影も濃いということだろうか。
【背中で見せる】
寡黙な作品である。映画の大半は、父と娘が楽しくバカンスを過ごしているシーンである。どのような背景があったか、その後どうなったかの説明は、ない。私は、後半に20年後の娘の視点からの解答編があるのだろうと思いながら観ていたら、突然エンドロールとなった。後で思い返してみると、ヒントはいくつも散りばめられている。
娘へ送るカードを傍らに置いて、号泣をする父の裸の背中、娘を見送った後の肩を落として歩く後ろ姿。背中で見せるシーンが印象に残る。
【思い出というもの】
もしかすると、20年前のバカンスは、この通りではなかったのかもしれない。これは、娘の追想なのである。
ビデオは、記憶を呼び起こす素材に過ぎない。それをどのようにな思い出にするのかは、その人次第である。記憶は、何度も思い起こされ、それが人生に深みをもたらすのだろう。
ビデオというのが、絶妙である。今のように高画質の映像が溢れていれば、解釈の入り込む余地が少なくなる。すべてが記録され、過去が白日の元に晒されれば、追憶の深みも失われるのかもしれない。
【余白】
映画「アダマン号に乗って」の冒頭で、"人生には余白が大事"という意味の字幕が出てきた。余白があれば、その部分は自由な絵を描くことができる。余白の多い作品は、スッキリ感がない分、受け手が自由に考える余地を与える。本作も余白のある作品であった。
【鬱ぎの虫】
リゾート地というものは、鬱ぎの虫を呼び起こすところがある。何もせずに、のんびり過ごしていると、自分と向き合うことになってしまうからかもしれない。この父親も、鬱ぎの虫にとりつかれたように見えた。まして、娘と楽しい時間を過ごした後だけに、その反動は大きいものだろう。
【評価軸】
コロナが明けてから映画館通いを始めて、本作が9本目となる。ここで、一つの評価軸を提唱たいと思う。それは、
芸術度ーエンタメ度
というものである。
芸術度の下位評価項目としては、
- 余韻(もやもや感)
- 表現の斬新さ
- 複雑さ(分かりにくさ)
- 肩透かし感
などを挙げてみたい。
エンタメ度の方は、まだエンタメ作品を見ていないので、これから考えることにしたい。
「aftersun/アフターサン」
芸術度 ★★★★★