晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

観た映画、読んだ本、訪れた場所などの記録

映画「逃げきれた夢」〜何から逃げるのか?

【あらすじ】

 定時制高校の教頭の男。定年まで後一年。妻との関係は冷え切っていて、娘に話しかけても避けられる。

 職場では、良い先生ぶりを発揮する。若い教員を気遣い、生徒の相談に乗る。タバコの吸い殻を集めて回るが、わざと音を立てて、生徒が逃げられるようにしてやる。

 自分の父親は、老人ホームに入っている。男が話しかけても何の反応もない。男は、親戚の噂話や昔話をして、虚しく引き上げる。

 実は、男には記憶障害が起こっている。初期の認知症のようだ。

 久しぶりに旧友を飲みに誘う。よもやま話で盛り上がるが、自分勝手だと言われて、口論になってしまう。

 定食屋でアルバイトをしている元教え子は、男を心配する。しかし、元教え子からの真摯な問い掛けに、答えることができない。

【モノローグ】

 会話のシーンの多くは、男のモノローグ(独白)である。

 男は、礼儀正しく、愛想もいい。

 男は、いい加減ではない。むしろ、誠実に生きている。

 しかし、独りよがりなのである。一方的に自分の考えや思いを話し続ける。

 教師という職業は、正しいことを一方的に語ることで成り立つ。生徒もそんなもんだと割り切っている。だから、そこには破綻はない。お互いに役割を演じているだけだから。役割を降りて、元生徒と向き合うと、自分の中には語るべき言葉がないことに男は気づく。

 家族とは、もとより対話はなかった。必死に語りかけても、返ってくるのは沈黙でしかない。

 "言語にとって(すなわち人間にとって)、応答の欠如ほど恐ろしいことはない"(バフチン)*1

【自分と向き合うとき】

  大人になって、組織の一員となり、生活がルーティンとなると、人は物を考えなくなっていく。真っ当な人生を歩んでいるという独善が、他者への無配慮につながる。

 枠組みが外れた時、人は、否応なく自分と向き合わされる。周りには、誰もいない。自分の内を眺めれば、そこにはなにもない。

 遠くない先には、確実に死が待ち受けている。それまで、どう生きていくか。

 この映画では、男が現実を突きつけられ、それを受け入れたらしいところで、終わっている。

 終わり良ければすべて良し、と言う。社会的な役割を終えてからが、本当の人生なのかもしれない。

【波紋との対比】

 本作の主演は、光石研。同時期に公開された映画「波紋」では、長年の失踪ののち、突然帰宅した夫を演じている。ほぼ同じ役柄だったので、興味を覚え、対比してみた。   

 

  波紋 逃げきれた夢
作品での役割 準主役(妻が主役) 主役
年齢 60歳位 59歳
家族構成 妻と長男(成人) 妻と長女(成人)
住居 一戸建て(ローン完済) 一戸建て(ローン完済)
性格 小心、卑屈、無神経、常識的、外面良い。 小心、卑屈、常識的、外面良い、内省的
社会的地位 元会社員 教員(教頭)
過去 家族を置いて逃げる。 家族とはすれ違い。(定時制勤務)
宗教にはまる。 浮気をする。
別居。会社員。婚約者あり。 同居。店員。彼氏あり。
立派な父(元大学教授)。晩年は要介護。 怖い父(強権的)。晩年は認知症
置かれた状況 末期がん。妻の冷遇。することなし。 記憶障害。妻子とは、疎遠。早期退職希望。やりたいことなし。
状況に対する反応 家族に縋る→怒り→諦め 一人で悩む→怒り→諦め
結末 がんで亡くなる。 あらたな人生を踏み出す?

 こうして見てみると、あまりに似ている。同時期に公開された映画で、同じような役回りを演じているのは、あえてそうしたのだろうか。公式サイトを見てみると、本作の脚本は俳優光石研に当て書きしたとある。すると、光石研は、このような役柄を得意としているのだろうか。今後、注目していきたい。

(なお、私は、テレビドラマは観ず、映画も見始めたばかりなので、光石研についてはこの二作以外では知りません)

【タイトルの謎】

 なぜ「逃げきれた夢」なのか。どうみても、逃げきれていない。「逃げ切れたと思っていたが、それは夢だった」ということのなのだろうか。そもそも、何から「逃げ」ようとしているのか。

 「逃げきれた」とはどういった事態を指すのか。たとえば、定年退職して、家族とも仲睦ましく、お金もあり、悠々自適の生活を送ることができたというようなことだろうか。その場合、何から逃げたと言えるのだろう。

 病気や貧困、孤立、老い、死(の恐怖)から逃げたいということか。

 それなら、土台無理な話である。

 すると、「逃げきるなどということは、そもそも夢にすぎないのだ(現実を見ろ)」ということを主張したいのか。

 考えてみたけど、腑に落ちませんでした。

 

「逃げきれた夢」

 芸術性 ★★★

 シリアス ★★★

 ユーモア ★

 

*1:「オープンダイアローグとは何か」斎藤環より引用