晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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映画「青いカフタンの仕立て屋」〜モロッコ版「こころ」?

※ネタバレ注意

【意外な展開】

 「昔ながらの職人が妻と慎ましく暮らすしみじみとした話」かなと思って観ていたら、途中に「あれ?」と思う場面が何回かあって、次第に「あれあれ」という展開になって、「何だそういうことか」となったのであった。

【実は】

    カフタン*1仕立て屋の主人は、同性愛者である。妻とは性的関係を持てないが、店を切り盛りしてくれる妻への思いやりは深い。人気の店だが、昔ながらの手作業のため、注文をさばききれない。そこで若いハンサムな男が職人として雇われる。ところが主人は、職人に惹かれてしまう。それを察した妻は、職人を邪険にする。主人は、職人から告白されるが、妻を慮って自分を抑える。

 妻は、不治の病を患っている。主人は店を休んで献身的に看病する。職人は気を利かせて、代わりに店を切り盛りし、主人が自宅でも仕事ができるようにする。そんな姿を見て、妻は職人と和解する。

 妻は死期を悟り、今までのことを謝罪する主人に対し、勇気を出して愛を貫くように励まし、二人の仲を取り持つ。妻の葬儀のあと、二人は慣習を破って、妻の遺体に主人の最高傑作である青いカフタンを着せ、墓地まで運んでいくのであった。

【こころ】

 観終わった後、似た話があったような気がした。

 これは、モロッコ版「こころ」(夏目漱石)なのでは?

 「こころ」では、先生と友人Kが下宿先のお嬢さんを取り合い、先を越されたKは自殺する。先生はお嬢さんと結婚するが、結局、自死してしまう。実は、先生が執着していたのはKであり、これはボーイズラブの物語なのであった(という説もある)*2

 いずれも、「三角関係に見せかけて、実はボーイズラブの話である」という点が共通している。

 一方、大きな相違点は、「こころ」では、お嬢さんは、個性が乏しく受動的で状況に流されるだけだが、本作では妻のキャラが立っており、主体的に動いて主人と職人の恋が成就させていることである。それによって、「こころ」は悲劇だが、本作はハッピーエンドとなっている(その先には困難が待ち受けているかもしれないが)。

【職人が女性だとしたら?】

 仮に、店に雇われたのが、若い女性だったとする。仕事を教えるのにかこつけて、主人が従業員の手を握ったりするのは、マズいのではないか。公私混同だし、セクハラかパワハラで訴えられる恐れがある。女性が同意したとしても、いわゆる不倫である。

 死期を悟った妻が二人の関係を許してくれ、二人は亡き妻に感謝して結ばれましたとなれば、落語の人情噺にでもありそうに展開だが、ありきたり感はぬぐえない。

 同性愛という要素が、物語に複雑さと深みを与えていると言える。同性愛ということで、他の要素がかすんでしまう面もあるかもしれない。

【背景としてのモロッコ社会】

 時代はよく分からなかったが、電気ガス水道は通り、冷蔵庫などはあるものの、テレビは普及しておらず、携帯を使っている人もいなかったので、日本で言えば昭和の中~後期くらいだろうか。場所はモロッコのサレという旧市街である。

 映画では、モロッコの市井の人々の暮らしぶりの一端を知ることができる。

 イスラム圏だが、顔はさらしていいようである。家には内風呂はなく、ハマムというサウナのようなところに行く。カフェのようなところで男たちは集まり、サッカー中継を観る。みかん類などの果物が豊富である。家庭料理ではタジン鍋を使っている。

 どうやら、抑圧が強い社会のようである。夜に夫婦で歩いているだけで、尋問を受ける。同性愛はタブーであり、刑事罰の対象となるようだ*3。(その一方、主人は、ハマムでその場限りの男性との性的行為にふけったり、カフェでは男ばかりが集まったりと、同性愛許容的な雰囲気も感じられたのだが……)

 タブーゆえに主人の苦悩は深いのだし、それを破るためには妻からの勇気づけが必要だったのだろう。妻の葬儀の場面では、慣習を破って、妻の遺体の白装束をはぎとり青いカフタンに着せており、社会の慣習にプロテストする主人と職人の決意が表明されている。因習を破るのが古い伝統を守っている職人であるというところも、面白い設定である。

 なお、主人と妻とは結婚式を挙げておらず、最後に青いカフタンを着せたのは、象徴的な二重の結婚式という意味合いも込めたのだろう。

  マリヤム・トゥザニ監督は、前作「モロッコ、彼女たちの朝」では、未婚の妊娠問題をテーマにしている。本作もマイノリティに光を当てる社会派作品なのであった。

 

「青いカフタンの仕立て屋」

 社会派度 ★★★