【ネタバレ注意】
湖のある地方の町が舞台。
始めに火事が起こる。
火事を起点として、三つの視点からの物語が描かれる。
第一の視点は、小学校高学年の息子と暮らすシングルマザーから。思春期を迎えつつある息子の変化に戸惑う。息子の奇妙な言動が続き、原因を求めて学校を訪問し、やがてモンスターペアレントとなる。怪物①
第二の視点は、小学校の担任から。熱心で親身な教師は、人々の噂話や自己保身に動く学校組織に翻弄され、不気味な暴力教師に仕立て上げられる。怪物②
第三の視点は、息子から。自分の中に生まれつつある欲望、自分自身の変化に対する不安、周囲からの視線へのおびえ、誰にも理解されない孤独、言葉にできないもどかしさ、明かすことができない秘密。いつしか息子の振舞いは、誰にも理解できないものとなっていく。怪物③
最後に嵐が来る。三つの物語が統合される。
人々は、様々な思いを抱えているが、怖れから、思いを伝えることができず、相手を理解しようととしない。自分の正しさを信じ、突っ走る。そして、周囲とのずれが広がり、その振舞いは怪物じみて見えてくるのだ。
種明かしをされてみれば、怪物などどこにもいない。それは、人の心が作り上げたものなのであった。
さてしかし、この作品のタイトルとして、「怪物」は、的を射たものであったであろうか。「怪物」とあると、どうしても「誰が怪物なのだろう?」と思いながら観ることになる。すると、観終わった後に肩透かしを食ったような気になるのだ。「誤解」とか「秘密」の方が内容を言い表しているように思えたが、それでは平凡である。「みずうみ」とか「火と水」、「トロンボーン」などもピンと来ない。やはり「怪物」がベストなのであろう。
それに「怪物」というタイトルのせいで、「結局怪物とは、何だったのだろう?」と考えさせる副次的効果も生まれる。
ラストの解釈は観客に委ねられる。これも、受け手のもやもや感を高める。
また、映像は普段我々が見ている風景と近いので、他人事とは思えず、自分の身に引き寄せて考えさせる。
カンヌ国際映画祭脚本賞を取っただけあって、様々な工夫が施され、よく考えられ、考えさせる作品であった。