晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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映画「SAINT OMER/サントメール・ある被告」~フランスの刑事裁判

【あらすじ】

 アフリカにルーツを持つ、フランスで生まれ育った女性作家ラマは、海辺の町サントメールで行われた裁判の傍聴に行く。作品の取材のためである。実は、ラマは妊娠をしており、不安を抱えている。

 生後15ヶ月の娘を海辺に置き去りにして、殺害した女性の裁判。置き去りにした事実は認めているので、動機の解明と情状が審理の中心となる。

 被告ロランスは、セネガルからフランスに留学した学生。法学を学ぶためだったが、哲学に転向した。それに失望した父から学費を打ち切られ、住み込みのベビーシッターをするがそれも辞め、愛人である妻子持ちのフランス人彫刻家のアトリエに居候する。愛人につれなくされ、部屋に籠り切りで、一人で出産して子育てしていた。あるときに思い立って海辺の町に行き、犯行に及んだ。

 その辺りの経緯を裁判長が質問をして、ロランスが答えることで審理が進むのたが、ロランスの供述は、二転三転し、曖昧で、「呪術のせいだ」などと言うので、何が本当なのかはっきりしない。

 証言台に立った愛人は、「子どもが生まれて幸せだった」などと言って、ロランスの供述と食い違い、混迷の度を深めていく。

【フランスの刑事裁判】

 シーンの大半が法廷でのやり取り。法廷は、歴史と格式がある感じで格好良い。参審制で、裁判の冒頭で参審員の選定が行われる。

 裁判長、被告、弁護人は女性。傍聴人も大半が若い女性であった。検察官とロランスの元愛人、予審判事だけが、男性である。

 なお、予審判事とは、裁判の前に取り調べをする役割の人のようである。

 日本の刑事裁判では、検察官が主張立証し、弁護人が反論、防御して進められる。それに対して、この映画では、裁判長が直接、記録を元にして、被告人への質問をしていた。裁判長は、記録を読み込んでいて、要領良く手続きを進める。弁護人は、被告に寄り添い、愛人に対して厳しい言葉で糾弾し、最後弁論では参審員の情に訴えていた。検察官は、被告人を非難するばかりで、さえない。予審判事は、民族学的に事件を解明しようとして、ロランスの呪術説に乗せられてしまった格好。

 判決の場面はなく、結果は分からずじまいだった。

【動機は?】

 なぜ、被告がそんなことをしたのか、はっきりとしたことは分からない。被告の言っていることは、コロコロ変わるし、明らかに事実と食い違うことも言う。愛人やその他の証人の供述もあてにならない。

 結局のところ、状況証拠と突き合わせて判断するしかない。

 弁護人は、最終弁論で、「この母親はモンスターか」と問いかける。そして、「この女性が犯行に至ったのは、精神疾患のためであり、治療が必要」「子は、母と細胞を共有するキメラであるであり、生物学的に母親と子どもは切っても切れない関係にある。今でも、被告は、子どもの幻影を見ているのだ」などと述べる。

   これには、冷静な裁判長も、心が動いたのかうっすらと涙を浮かべた。

【移民】

 裁判が終わってから、被告が傍聴席にいたラマに、笑みを浮かべるシーンがあった。

 これは、ラマが妊娠することを感じとって、「あなたは、頑張ってね」という意味なのか、裁判が作戦通り進み「うまくやったぜ」という笑いなのか、「来てくれてありがとう」なのか。分からなかった。

 とにかく、アフリカ出身者同士の連帯感があったようである。

 フランスでは、アフリカ出身に対する差別は根強くあるようだ。裁判での大学関係者の発言は露骨であった。(ウィトゲンシュタインを研究したかったというロランスに、「アフリカ出身の学生がなぜ20世紀初頭のヨーロッパの哲学を研究するのか。自分の身近な題材を研究すればいい。」などと言う。)

   ラマは、フランス育ちで小説家として成功し、大学でも教えている。しかし、アフリカ出身のラマの母親は、フランスに馴染めず、心身に不調をきたしている。今はうまくいっているものの、フランス社会で出産し子育てしていくことへの不安はぬぐえない。被告の事件は人ごとではないのだ。

【フランス語】

 「明晰でないものはフランス語ではない」という。あくまで、言葉で真実を追求していこうという姿勢が徹底されているように思えた。フランス語はまったく分からないが、聞いていて心地よい感じがした。

 地味だけど、色々と面白い映画であった。

 

社会派度 ★★★★★

ヒューマンドラマ ★★★