晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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映画「私たちが光と思うすべて」~私たちはどう生きるか

※ネタバレあり。

【あらまし】

 インドのムンバイ。人々がごったがえす大都会の片隅で暮らす看護師のプラハとアヌ。年上のプラハはしっかり者だが真面目で堅物。若いアヌは無邪気で自由奔放。二人はルームメイトである。

 プラハの見合い婚をした夫は出稼ぎでドイツに行ったきり帰ってこない。一緒に暮らしたことすらなく、音信も途絶えている。プラハは職場の医師から遠回しにプロボースされるが、それでも夫がいるからと断る。

 アヌは、田舎の両親から結婚を迫られ、次々と見合い写真が送られてくる。ところがアヌは密かにムスリムの青年と恋仲になっている。

 プラハは、アヌの世話を焼きながらも、アヌの行状に我慢ができず、非難してまうこともある。二人で仲良く枕を並べて語らうこともある。

 病院の食堂で働くパルヴァディ(食堂のおばちゃん)は、高層ビル建設のために自宅アパートから立ち退きを迫られ、田舎に帰ることにする。

 プラハとアヌは、パルヴァディの故郷である海辺の村まで引っ越しの手伝いに行く。パルヴァディは、田舎で急に生き生きとしはじめる。プラハとアヌは、それぞれに神秘的な体験をする。

 夜の海辺のカフェで、アヌの恋人を加えた四人が過ごす場面で終わる。

【ローカルだが普遍的でもある】

 ムンバイは急速な発展を遂げている街。貧富の差は歴然としていて、労働者階級は酷い扱いを強いられる。親の決めた相手と結婚することが当たり前で、異教徒と婚姻するのはハードルが高いようだ。言葉の問題も複雑で、医師は患者の話すヒンドゥー語が分からない。

 このようにインド社会問題が背景として描かれているが、テーマは普遍的である。

 三人の女性は、それぞれの人生の岐路にさしかかっている。

 アヌは、結婚問題。恋人と過ごすのは楽しい。しかし、自分の選んだ人と結婚すると、苦労するのは目に見えている。

 プラハは、結婚をどう終わらせるか。もう若くはない。あてにならない夫の帰りを待ち続けるのか、諦めて自分の人生を歩むのか。

 パルヴァディは、老後の過ごし方。子どもの厄介にはなりたくないが、田舎での一人暮らしはいつまで保つのか。

 もちろん、結論は出ない。人生には問題がつきものだけど、それはそれで何とかやっていきましょう、それこそが人生なのよ、という感じであった。

 舞台を日本に移し替えても、十分に成り立つと思われた。たとえば、四大卒の会社員マイはニートの彼氏との結婚問題に悩み、キャリアウーマンのケイコは長年別居をしている夫との関係について決断ができず、定年延長を断ったサチコは田舎に戻って一人暮らしを始めることにした、とか。

 作品の骨組みをどこの国に移し替えても成り立ちそうであり、そのために国際的にも受け入れられたものと思われた。

【インドの自然】

 作品の終盤に不思議な出来事が起こるが、インドの深い自然の中で起こると違和感はない。田舎に行くと広大で無慈悲な自然の中で人間はちっぽけな存在であることが示され、インド的な諦念とあいまって、この作品に奥行きを与えている。

 

私たちが光と思うすべて

★★★★