※ネタバレあります。
【あらまし】
1980年代の岐阜市あたり。小学5年生フキは、好奇心が旺盛な女の子。死んだらなぜ悲しいのかとか、テレパシーなどに興味深々である。変わった作文を書いて、教師から心配されたりする。
フキは一人っ子で、両親は共働きである。父はがんを患っており、入院する。母は、キャリアウーマンだが、ストレスを抱えて、いつも苛ついている。
フキは、探偵のように世の中を探索して回る。夫を亡くした若い未亡人の話を聞いたり、友達の家で友達の父親の浮気の証拠を発見したり、伝言ダイヤルで知り合った見知らぬ若者の家に行ったり。
それぞれのエピソードには、つながりは薄い。夢と現実が交錯したりもする。
ストーリというストーリもないが、時間は流れる。父親の葬式のあと、海辺への旅行の帰りの列車の中で穏やかな表情の母と楽しそうに過ごす場面で終わる。
【観察者】
フキを動かしているのは好奇心である。特にオカルトと人の感情に興味があるようだ。大人が色々な事情や感情に振り回されて行動をするのを興味深く眺めている。
たとえば、母は、父を看病しながらも葬式の準備をし、研修で知り合った若い男と付き合いはじめる(フキが興味深そうにこの男の顔を眺めるシーンがある。たぶん、「このおじさんのどこがいいんだろう?」と考えているのだろう)。
フキはまだ子供っぽいので、大人たちは油断して、フキの前で本音をもらす。父を見舞いに来た部下たちは、タバコを吸いながら、「もう復帰はないな」などと言い合っている。
インテリの父は、死を避けるために英語の医学雑誌を取り寄せて最新の医療情報を得ているが、結局は民間療法や気功にすがる。フキは父に付き合って怪しげな気功教室に参加する。体調の悪い父と競馬場に行ったりもする。とはいえ、フキは、父に寄り添っているようでも、心配しているようでもない。父が亡くなった後も悲しんでいる様子もない。フキが夏休み中に父の葬式に出た話をすると、外国人の英語教師は同情して悲しむ。フキは、人が死ぬときにどんなことをするのか、死んだことを聞いて人はどう思うのか、ということを学ぶ。
普通に考えれば、父が入院し、母はフキをほったらかしているので、寂しいはずである。伝言ダイヤルで知り合った自称大学生に、のこのこと付いていくのも、構ってもらいたいからと言えなくもない。しかし、どうもそうとは見えない。人が何を考えて、何を欲望して、何をするのかということを知りたいという好奇心が動機となっているようだ(守りが薄いので、観ている方はハラハラさせられる)。
偶然が重なって、自称大学生の家から逃げ出したフキは、道に迷って雨の中、橋の上でしゃがみこんでしまう。そこになぜか父が現れて、父に足を拭いてもらい、次のシーンでは無事に自宅に戻っている。フキは現実と幻想のあわいを生きているようでもある。向こうの世界とのつながりが見えるので、人が死を悲しむことが不思議なのかもしれない。フキは、英語の教師に「父と再会できたら、何て言う?」と尋ねられて、しばらく考えたあと、「久しぶり!」と答えている。
【奇妙な世の中】
フキの目を通してみると、人々の行動は奇妙で複雑。大人たちは、感情や欲望、恥や外聞などに振り回されて、右往左往している。何でこんなにややこしいこをしているのだろう。この作品は、フキの視点を取ることで、一歩離れた地点から、人間社会を眺めるように促す。だから、悲しい出来事を描きながらも感情移入はできない(これが物足りないと思う人もいるかもしれない)。
誰しも幼い頃は、大人たちのすることを、不思議に思うものである。子どもたちは、成長するうちに、世の中こんなものさと思うようになり、いわば世間ずれしていく。人の死に接すれば悲しみ、表と裏を使い分けるようになる。フキはなぜかこの歳になるまで、世間に染まることなく、純粋に好奇心のままに動いている。フキの感情には、「楽しい、嬉しい」はあるが、「悲しみ、怒り」は薄いようである。精神医学的には、フキはちょっと異常なのかもしれず、心理セラピーを要する状態と判定されるかもしれない(担任教諭は、問題性を嗅ぎ取っている)。しかしながら、少し離れた視点から見れば、普通の人々の方が奇妙であり、物事をややこしくして、勝手に苦しがっているだけなのかもしれない。
★★★★★
多様な見方を許容する作品