【あらまし】
1945年。終戦直前のデンマークのとある町。小規模な市民大学の学長一家の物語。ソ連に進行されたナチスドイツは、自国民を「難民」として、占領下の地域に移送する。デンマークには、20万人もの「難民」が連れてこられ、この町にも500人余りの人々の受け入れを強いられた。受け入れ先は、大学の体育館である。
当初は場所を貸すだけで、一切関与しない方針だった。しかし、ドイツからは食糧や医薬品の支給もなく、狭い体育館の中で感染症も広がり、子どもやお年寄りが次々となく亡くなっていく。
見るに見かねた学長夫妻は、こっそりと援助を始めるが、裏切り者として罵られ、レジスタンスのメンバーから襲撃される。10歳くらいの息子は、学校ではいじめに遭い、父とは距離を取るのだが‥‥
【誰が悪いのか】
善意から人助けをした学長一家が裏切り者として迫害を受けるという気の毒な話である。とはいえ、ナチスドイツには、デンマークの人々は酷い目にあっていたのだろうし、「敵」に手を貸すべきではないというのも分かる。子どものいじめは良くないが、子どもは大人を真似るものである。
学長一家がしたことは、人道的には良いことだったが、共同体のルールを破ったということは、裏切り行為であった。
この場合、誰が悪い(責任を負うべき)なのか。
まず悪いのは、ナチスドイツである。自国民を一方的に送りつけ、見殺しにしている。そもそも自国民を「難民」として、外国に押しつけるのは一体どういうことなのか。「難民」の定義からずれている気がしたが、翻訳の問題かもしれない。
よって、ヒットラーが一番悪いということになるが、ヒットラーを支持したドイツ国民にも責任があるのかも知れない。とはいえ、避難してきた人たちは一般人であり、政治的な信条も不明で、子どもも含まれているのだから、まずは保護されるべきである。
次に、デンマーク政府である。占領下では、ナチスドイツとの協約に従うしかなく、レジスタンスも黙認(密かに支援?)するということであっただろうが、戦後は「難民」を保護する立場であったはずである。レジスタンスの青年がドイツ人医師を射殺する場面があったが、「やられてたらやり返す」という感情は普通に起こってしまうので、それに制限をかけるのが、政府であり、法の支配ということである。
ということで、善意のある主人公一家の勇気ある行動と無理解な地域住民の話、あるいは家族愛、親子愛の物語とするのは、やや違うのではないかという気がした。*1
なお、原題の Når befrielsen kommeの意味は、「解放のとき」くらいの意味のようであり、邦題は、誤解を招くような気がした。
僕の家族と祖国の戦争
★★★
*1:個人の感想です