晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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『虞美人草』〜華麗なる失敗作

 寝しなに『虞美人草』読んだ。長いので、二月ほどかかった。読み出すとすぐに眠気が来るので、睡眠導入剤としては優秀であった。

【登場人物】

 小野さん 大学を優秀な成績で卒業した詩人。博士論文を執筆中。孤児であり、若い頃は貧乏で、京都では孤堂先生に世話になった。今は、オシャレでチャラい感じになっている。八方美人で優柔不断な性格。藤尾と結婚したいが、孤堂先生の娘の小夜との結婚話を断れず、悩む。 

 甲野さん 哲学者。大学卒業後、定職に就かず、ブラブラしている。相続した遺産を妹の藤尾に譲って、出家しようしている。

 宗近 大学を出て、外交官試験に挑戦しているが、不合格ご続いている。豪快な人情味のある性格。甲野さんとは、親類で友人。

 藤尾 すごい美人。気位が高く、自己中心的で、我が強く、クレオパトラになぞらえられる。遺産をもらって、小野さんと結婚する計画を立てている。

 孤堂先生(井上孤堂)  元々東京の出身だが、長年京都で暮らしていた。何かの先生で、弟子が何人かいる。妻に先立たれ、一人娘の小夜と二人暮らし。病身。小夜を小野と結婚させるために上京する。

 小夜子 孤堂先生の一人娘。美人だが、大人しく、控えめな性格。琴を弾くのが趣味。父親の世話をしている。

 糸子 宗近の妹。丸っこい顔と手の持ち主。性格は良い。甲野さんが好きである。

 藤尾の母 藤尾と一緒になって、甲野さんが貰った遺産の横取りを狙っている。世間体を気にして、口と腹が違い、甲野さんを苛立たせる。謎の女と称される。

 宗近の父 引退した老人。鷹揚な人物。 

 甲野の父 元外交官で外国で客死した。登場はなし。

 浅井 孤堂先生の弟子の一人。デリカシーゼロの人物。端役で登場するだけ。

【ストーリー】

①甲野さんと宗近が京都旅行をする。比叡山に登る。宿屋の部屋から女性(小夜子)が琴を弾くのが見える。

②小野さんは藤尾に英語を教えている。クレオパトラの話を読む。

③孤堂先生と小夜子は、上京する。甲野さんたちと同じ汽車になる。小野さんは、孤堂先生と小夜子を出迎えて世話をする。

④宗近の父と藤尾の母は、藤尾と宗近を結婚させることで合意する。

⑤甲野さん、藤尾、宗近、糸子の四人で博覧会を見に行く。ちょうど、小野さんの案内で、孤堂先生と小夜子も来ていて、藤尾に気づかれる。

⑥小野さんは小夜子と一緒にいたところ藤尾に見られていたことを知り、あせる。孤堂先生からは、小夜子と結婚するように催促される。

⑦藤尾は藤尾の母に小野さんと結婚する意思を伝え、二人で遺産を横取りする相談をする。甲野さんは、遺産を藤尾に譲って家を出ると言うが、藤尾の母は口ではそれを止める。

⑧宗近は、外交官試験に合格する。自分は藤尾と結婚し、甲野さんと糸子を結婚させようとする。しかし、糸子や甲野さんに言われて、藤尾との結婚はやめにする。

⑨小野さんは、藤尾と結婚することを決意して、孤堂先生に小夜子との結婚を断ろうとする。自分では言えないので、同門の浅井に金を貸すことを条件に、孤堂先生に縁談を断ることを伝えるように頼む。浅井は気楽に引き受け、そのままを孤堂先生に話し、孤堂先生の怒りを買う。

⑩宗近は、小野の所に行き、「真面目になれ」と言う。小野は小夜子と結婚する決心をし、藤尾との約束をすっぽかす。

⑪甲野の家に主な登場人物が集まる。約束をすっぽかされた藤尾は怒って帰ってくる。宗近は、藤尾に小夜子を「小野の将来の妻」と紹介する。唖然とする藤尾に、小野は「真面目な人間になるから、許してください」と言う。藤尾は、宗近も藤尾と結婚する気がないこと突き付けられ、卒倒して死ぬ。

【陳腐な話】

 細部は色々と展開しているが、大筋は上記のとおりである。テーマは相続と結婚問題で主人公は優柔不断な男である。テーマ的には、「こころ」など他の作品とも共通するところはあるが、どの人物にも深みがなく、最後に悪役の藤尾が死んで、めでたしめでたし、で終わっていて、なんじゃこりゃという読後感であった。藤尾は性格が悪いのかもしれないが、何も殺さなくても良いのではと思える。なお、藤尾はショック死したのか、毒をあおって自殺したのかはよく分からない。卒倒した場面の次の章の冒頭に「我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた」と書かれているだけだからである。

【読みにくい】

 全部で19章あるが、甲野さんと宗近の会話で始まる第1章を除いて、章の始めには文語調の長い解説が入る。これが読みにくい。そしてほとんど不要である。たとえば、第2章の始めは次のとおり。

紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝を冴々と菫に刻んで、細き金脚にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威を作すは、春にいて春を制する深き眼である。この瞳を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵寰に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着ている。

 これは、藤尾の登場場面である。いかかでしょう。藤尾が超絶美人ということを表現しているようだが、「はあ?」と言う感じである。こういう描写や哲学的思念、文明批評などがところどころに挿入される。とにかく読みにくく眠気を催す。漱石に教養があるがゆえに、余計に面倒なことになっている。

【なぜこれを書いたのか】

 『虞美人草』は、漱石が大学を辞めて、朝日新聞社の専属作家となった第一号の作品である。元帝大の先生が作家になり、新聞連載小説を書くというので、世間では評判となり、デパートでは「虞美人草ゆかた」や「虞美人草指輪」が売られ、新聞の号外が出たとのこと。*1

 漱石朝日新聞から、給料制で好きな小説を好きなだけ書いて良いという条件で入社していて、自由な創作が許される立場であった*2。とはいえ、入社第一作目で新聞連載となるからには、期待に沿おうとしたのだろう。張り切っていたのである。

  当時の朝日新聞は、東京山の手に住むインテリ層の男性をターゲットにし始めた。その旗印として白羽の矢を立てられたのが漱石であった。*3

 漱石は、自分の読者が役所や会社勤めの忙しいサラリーマンで、普段は小説など読む暇のない人々だと考えていた*4。だから、知的レベルが高いが、文学には疎い人々に受けるように、高尚のようで中身は昼ドラのような小説を書いたものだろうか。

 漱石の作品は、再読するのが面白いのだが、さすがにこれを読み返すことはないだろうと思った。眠れないときにも、他に読む本はある。

 なお、虞美人草とは、ヒナゲシのことである。漱石の花好きは、こんなところにも表れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:新潮文庫版の解説より

*2:漱石の『入社の辞』より

*3:漱石と日本の近代』 石原千秋 新潮選書

*4:漱石は『硝子戸の中』でそういうことを書いている。