晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

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『草枕』〜非人情の芸術論

 スマホを忘れた日、カバンの中に入っていた『草枕』を読んだら、案外面白かった。それで、入浴中にちょびちょび読んで、短い話なので、ニ遍読んだ。『草枕』は入浴中に読むのがちょうど良い。

 『草枕』にストーリーはない。漱石自身、ただ美しい感じが読者の頭に残れば良い、と述べている。*1

 三十歳を過ぎたくらいの画家が、山の中の田舎の温泉宿にやってくる。山の中だが海が見える土地である。熊本県の小天温泉がモデルという。*2

 画家は、画題を探している。温泉宿に行くまでの道中で、つらつら考え事をする。それが有名なあの一節である。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 画家は、芸術というものは、生きにくい世の中を生きやすくするもので、そのためには感情移入せず、対象と距離を取らなくてはならない、と考えている。それをこの温泉宿で実践しようとするのである。それを称して、非人情という。

 夜更けに宿に着いた画家は、迷路みたいな宿の中を案内され、不思議な一夜を過ごす。その宿には、出戻りのお嬢さん(那美)がいて、イタズラを仕掛けてくる。

  望まない結婚をして、離縁して戻ってきた那美は、奇矯な振る舞いが目立ち、おかしくなったと噂されている。

 画家が帳面に書いた俳句を、留守の間に書き換える。画家が温泉に入っていると、後から入ってくる。少なくとも暇なようだ。

 ちなみに、那美と混浴する場面では、那美の裸体が描写されている。しかし、漢語が駆使され、抽象的な描写が続き、何のことやらよく分からない。

 那美が画家の部屋に遊びに来ると、画家は英語の小説を読んでいる。どんな話かと聞かれて、適当に開いたページを読んでいるだけだと答え、それが非人情の読み方だと言う。そして、那美に頼まれて、適当なページを日本語訳して読む。そのとき、小さな地震が起こり、二人は一瞬身を寄せ合うのだが、あくまで非人情をつらぬく。

 この画家は、絵を描くだけではなく、漢詩も作れば、俳句も作る。英語の小説をすらすら読み、英詩をそらんじる。凄い教養の持ち主である。絵画論を述べつつ、小説論も展開し、恋愛や世間のゴタゴタを題材にする西洋の芸術や文学を批判して、世間から離れた東洋的な芸術の方に軍配を上げる。

 とにかく、『草枕』は漢文を駆使した流麗な文体で綴られていて、見た目は美しいけれども、会話文以外は、何が書いてあるのか分かりにくいところが多い。そのためか脚注がやたら多く、本文が174ページなのに、脚注だけで35ページもある。*3

 所々、面白い箇所もある。

 床屋での元江戸っ子の親方とのやり取りは、落語のようである。

 エッセイみたいなところもあり、西洋料理は味はともかく見た目はダメだが、和食は見るだけで食べなくてもお金を払う価値があるとか言う。特にようかんの肌合いを褒める。

 画家は、ただあちこちぶらぶらして、色々考え事をするだけである。宿の主人の茶席に呼ばれて、茶道具を干渉する。禅寺で和尚と話す。池のほとりで、水面に浮かぶ那美の表情をどう描くかをあれやこれやと思念する。

 ドラマがないわけではない。那美の元夫は落ちぶれて満州に行く。那美の従兄弟の久一さんは、戦争に出征する。それらの人間ドラマも画家は非人情の目で観ている。そして、最後に元夫を見送った那美の表情に「憐れ」が浮かんだとき、画業が成就したことを悟る。

 この小説自体、非人情の作品である。だから、どこから読んでもいいし、どこでやめてもよい。風呂場で読むのがぴったりなゆえんである。

 

 

 

*1:余が『草枕

*2:ちなみに小天温泉には「那古井館」という温泉旅館がある。

*3:新潮文庫