✳︎ネタバレはありませんが、多少内容に触れます。
漫画に青春をかけた二人の少女の成長物語。原作は、藤本タツキの漫画である。58分と短いが、人気の作品らしい。
漫画家になるためには、ひたすら描き続けなくてはならない。そして、運良く漫画家になったら、さらに描き続けなくてはならない。つまり、辞めるまでひたすら描き続けるということが漫画家という職業のあり方である。
先日、NHKの『プロフェッショナル』の青山剛昌の回を見た。青山は、命を削るようにして、名探偵コナンを作り続けていた。
漫画家であることの大変さは、漫画家が描いた自伝的な作品のテーマになることがある。例えば、東村アキコの『かくかくしかじか』は、絵の師匠である先生と作者の交流を描いたものだが、主人公は、さまざまな人生の荒波に揉まれながらも、ひたすら絵(漫画)を描き続ける。それが亡き師と繋がり、自分を支えるよすがとなるのである。本作もその系譜に繋がる作品と言えようか。
なぜ人は絵(あるいは漫画)を描くのか。古くはラスコー洞窟壁画から、現代の壁画アートに至るまで。人は物心つくと何かを描き始める。絵とは、目に見える世界を光と影、色と線で二次元に落とし込むことである。多分、絵を描くことで、子どもは世界を理解しようとするのだろう。中には、それを生涯にわたって続ける人がいる。画家とか漫画家もそういう人である。
京本が絵に執着するのは分かる。絵しかないからである。とはいえ、部屋から出ていないはずの京本が放課後の学校の情景を描いているのは、どういうことだろう。よほど、視覚記憶が良いのか。また、京本の漫画には人が出てこない。絵が上手くとも、漫画が描けないのが京本なのである。
藤野が漫画に執着するのは、よく分からない。藤野は、スポーツもでき、人気もあるからである。わざわざ、4コマ漫画で評価される必要はないのでと思える。本人もそのように振る舞っている。根底に、自信のなさのようなものがあったのだろうか。
藤野は、京本に負けたと思い、一旦は漫画を投げ出す。しかし、京本から崇拝されていたと知り、やる気を出す。藤野は常に周囲の評価に左右される。そういう意味で、京本の方が本物であるし、そんな京本に対して藤野は劣等感を抱いていたのかもしれない。そのせいか、藤野は、京本を自分の支配下に置こうとする。また、藤野にとって京本はかけがいのない理解者であり、仲間であった。そして、京本が藤野から離れようとしたとき、姑息な引き留めにかかる。しかし、藤野は本音を伝えることができなかった。
藤野が本物になったのは、京本の遺志を引き継いだときと言えるかもしれない。
ルックバック
★★★