✳︎ネタバレあり
【あらまし】
20世紀初め頃から70年頃にかけて、スイスの山と谷で生きて死んだ無名の男の一生をたどる。
幼い頃、孤児になったアンドレアス・エッガーは、農業を営む伯父に引き取られる。伯父からは、酷い扱いを受け、家僕のように扱われる。成人になり、伯父の家を出て、日雇い労働で生活する。お金を少しずつ貯めて、小屋を借り、やっと自分の居場所を持つ。食堂で働いていた女性を妻とする。おりしも、ロープウェイの建設が始まり、エッガーも作業員として働き始める。妻の妊娠が分かり、給料も上がり、順風満帆と思われたが、突然の不幸が見舞う。
エッガーは何とか立ち直ったが、第二次世界大戦の兵員として駆り出される。戦後は、農作業などをして、細々と暮らす。山は観光地となり、大勢のハイカーが訪れるようになった。老年となり、友人から借りた小屋で一人静かに暮らすエッガーは、亡き妻に宛てた手紙を書き、人生について考えるのであった。
【普通の人の一生】
始めは大河ドラマのスイス版かな、と思って観ていたが、普通の人の生涯を描いたものだと分かってきた。ただし、時代の変化が激しく、エッガーはそれに巻き込まれ、翻弄される。
子どもの頃は、中世同様の生活(農業で基本的に自給自足、馬や牛を使うがほぼ人力、子どもは親の所有物で虐待が日常的)であったが、老年になる頃には、現代になった(電気、車あり、観光客が押し寄せる、月面に人が降りるのをテレビで観る)。
一身にして二生を経る、と言う言葉があるが、一身にして三生くらいの変化を経験した感じである。
日本でも同じ時代に、例えば東北の山間部で生きた人は、同じような経験をしたかもしれない。
【運命を受け入れる】
エッガーは、酷い目に遭っても、文句を言うこともなく、淡々と運命を受け入れている。意志は強いようである。教育を受ける機会はなかったが、読み書きは習得しており、頭も良さそうである。自己主張のようなことはほとんどしない。
自己実現とか、個性の尊重とか、そういうものには関心がない様子である。スイス人気質といったものなのか。それとも、個性の尊重などというのは最近の話で、昔はみんなこんな感じだったのだろうか。
自分の意思には関係なく、ハードな状況に投げ込まれ、それを引き受けて生きる。うろ覚えだが、ハイデガー哲学にそんな感じの話があったように思い、NHKテキスト100分de名著「存在と時間」をアマゾンで買って、読んでみた。
この本は、『存在と時間』という難解な哲学書を、文字通り100分で読めるくらいで分かりやすく解説していて、とても良かった。
さて、この100分de名著によると、ハイデガーは『存在と時間』で次のようなことを書いているらしい。
「普通の人は、周りに合わせて生きている。自分と向き合うことは不安なので、周りに合わせることで安心したいからである。そうして人は無責任になっていく。しかし、自分が死ぬことは他の人に代わってもらうことができないので、死を意識すると周りに合わせてばかりはいられなくなる。それで、自分と向き合うことになるのだが、自分と向き合うことは不安を呼び起こす。それに耐えて、自分の人生として受け入れようとして決意するとき、自分の人生に責任を持つことになり、その人にしかできない本来的な人生を送ることができる。」
平たく言うとこんな感じである。
そのように考えると、まさにエッガーは、自分の運命を受け入れて、自分の人生に責任を持ち、自分にしかできない個性的な人生を送ったと言える。
【死のテーマ】
『存在と時間』によれば、人は自分の死に向き合うことで、自分独自の人生を歩み始める(らしい)。
そういえば、この作品には「死」のテーマが通奏低音のように鳴り響いていた。
たとえば、エッガーが山から降りるときに、山小屋で凍死しかけている老人を見つけて救助する。老人はエッガーに背負われながら、死についての独特の考えを延々と語る。そして、隙を見て逃げ出す。数十年後、この老人は氷河でミイラになっていたのを発見され、エッガーと対面する。エッガーは、老人の死に顔が安らかであること知り、安堵する。
また、ロープウェイの建設現場で事故に巻き込まれた同僚が片腕を亡くす。その片腕を埋める穴を掘りながら、エッガーと友人は、体の部分がどこまで無くなれは、その人ではなくなるかということを議論する。
さらに、死について語り合っていた友人が、野外で入浴中に凍死して発見される。その友人は、「死んだら何もなくなる。」などと主張していた。
このように死について再三向かい合う機会があったせいか、老年のエッガーは死ぬことは怖くないと思うようになる。そして、死者である妻に手紙を書き続ける。
【死者への手紙】
死者への手紙は、意味がないように思える。読む人がいないからである。しかし、相手が読まなくとも、手紙を書くこと自体に意味があるとも思える。自分だけで考えていると煮詰まってしまうが、相手に語り掛ける形を取ると、相手に分かってもらえるように表現するので考えが整理されたり、相手に聞いてもらえた感じがして気持ちが落ち着いたりすることがあるからである。
本作を観ていて、絲山秋子の『末裔』という小説を思い出した。この小説は、妻に先立たれた定年前の男が、ひょんなきっかけで自宅から締め出され、過去とのつながりを取り戻して、新しい人生を歩んでいく、といった話なのだが、この中で、主人公はしばしば亡き妻に手紙を書く。そうやって手紙を書くことで、心を落ち着かせる。
エッガーは神を信じないと語る。昔であれば、神に語り掛けることが同じ意味を持っていたのかもしれない。エッガーも『末裔』の主人公も、亡き妻への信頼があったからこそ、読まれない手紙であっても深い意味を持ったのだろう。
【人生の意味】
エッガーは、自分の人生を振り返り、「願いや希望が叶ったものもあったが、多くは叶わなかった。叶ったとおもったら、奪われたこともあった。それでも自分に必要なものは持っている。」といったことを妻への手紙に書き、そのまま死ぬ。
一見、虚しい人生のように見えて、意味のある人生であったのである。人生は何のためにあるかというのは深いテーマだが、経験をするため、というのも一つの答えと言えるかもしれない。
ある一生
★★★★