※ネタバレあり
【あらまし】
イタリア・トスカーナ地方の田舎町。イギリス人アーサーは、地下の遺跡を探し当てる特殊能力を持っている。なぜか、盗掘団の一員となっていて、古代エトルリア人の墓を掘り返しては、埋葬品を売って日銭を稼いでいる。
アーサーが刑務所から出所してきた場面で始まる。帰ってきたアーサーを仲間は歓迎するが、アーサーは彼らを避ける。アーサーには、生き別れた恋人ベニアミーナのことが忘れられない。恋人の老母は、大きな屋敷に一人で暮らしている。老母は、アーサーなら娘を見つけられるとはげます。
結局、アーサーは盗掘団に舞い戻る。エトルリアの聖所を掘り当て、女神像を発見する。その女神像をめぐって、騒動が起こり……。
メインは、アーサーが幻影の恋人を追い求めるなりゆきだが、一風変わった人々が一風変わったことをし、現実と幻想が入り混じり、様々な寓意が込められている。
【謎が多い】
イギリス人のアーサーは、どんな経緯でイタリアの田舎に住むようになったのか、ベニアミーナとはどんな人物なのか、アーサーとはどんな関係だったのかといったことは一切説明されない。ベニアミーナは行方不明なのか、死んだのかもはっきりしない。そもそもアーサーとは何者なのか?元考古学者なのか、特殊の能力を持つ流れ者なのか。
また、ベニアミーナの母親の館で住み込みの家政婦兼歌のレッスン生のイタリアという名前の子連れの女性は、外国人のようだが素性は不明である。アーサーとは、初歩イタリア語手話のようなことで意思疎通するのだが、これもよく分からない。館を追い出されたイタリアは、他の行き場のない母子たちと一緒に廃駅に住み始める。ちょっとあり得ない感じである。
ベニアミーナの母親も謎めいている。普段は一人暮らしだが、時々娘たちが大勢押しかけて来る。漫画のようである。母親がアーサーを可愛がっているのもよく分からないし、言動も風変りである。
【現実と幻想】
現実的な面も描かれている。イタリアの寒村の貧困、金銭目当てに盗掘をすること、しかし安く買い叩かれるしかなく、それが美術品のマーケットに流されていくこと。盗掘を重ねても、結局はその場しのぎでしかないが、その中でも人々はそれなりに愉しく陽気に暮らしていることなど。
その中で、アーサーは半分は幻想の世界に生きている。疲れ果てたアーサーは、いったんはイタリアたちと住み始めるが、結局はベニアミーナに引っ張られるように幻想の世界に入り込んでいく。幻想に取りつかれて破滅した男の物語のようにも見えるが、それは表面的な見方で、いわゆる現実だけが唯一のものではなく、世界はもっと重層的なものであることを示しているように思える。
本作は「オルフェウスとエウリディケ」の神話を下敷きにしたとのことで、日本にも「イザナギとイザナミ」の神話もあり、どちらも死んだ妻を黄泉の国に迎えに行ったものの、亡き妻の姿を見たことで連れ帰ることに失敗したという話であったが、そのような物語が昔からあるということは普遍的なテーマなのだろう。
日本神話では、裏切られた亡妻が「一日千人を黄泉の国に連れていく」と言ったのに対して、イザナギが「それなら、こっちは一日千五百人を産んでやるぞ」と言い返しているが、本作でもイタリアと母親たちはたくさんの子どもを養っていて、死の国に向かうアーサーに対して、生の豊饒さを表しているようにも思えた。
【現代の寓話】
アリーチェ・ロルヴァケル監督の故郷を舞台としつつ、神話をモチーフにしたり、さまざまな寓意も込め、現代的な問題も描き、ファンタジー的な要素も加え、ユーモアも散りばめながら、イタリア映画の伝統も踏まえて技法にも工夫を凝らすなど、色々とてんこ盛り的な作品である。映画通の人やイタリア人が観ると、分かる部分もあるのだろう。
観ていて少々長いなとは思ったが、まずまず面白く観た。謎めいていた部分も多かったが、一々詮索はせず、それはそれとして観れば良いのだろう。色々な見方を許容する懐の深い作品であった。
「墓泥棒と失われた女神」
★★★★