晴れ、ときどき映画と本、たまに旅

観た映画、読んだ本、訪れた場所などの記録

映画「箱男」~箱とは何か?

 「箱男」は、箱を被った男が奇妙な体験をする話である。原作は阿部公房。今回は小説を読んで予習してから観に行った。

 箱男は、段ボールを被って、その中で暮らし、街を徘徊して、のぞき窓から外を見る生活を送る。普段は気にしないが、実は街のそこここにいて、いったんそれを意識すると、自分も箱男になってしまうのだとか。(「箱女」がいないのはなぜだろう。最近の言い方にならうと、「箱人間」とか「箱パーソン」となるのだろうか。)

 箱男は、ひたすらノートに書いて記録する。これも箱男の習性らしく、ノートを大事にしている。

 まあ、段ボールに入って暮らすというのは、あり得ない話なので、これは何かの象徴と考えて良いだろう。それにしても、阿部公房は、ありもしない想定の話をえらく具体的に書いている。段ボール箱の選び方、箱の作り方(特に窓の開け方)、必要な備品とその保管方法、大小便の仕方まで……。シュールな設定をするには、細部を具体的にするというのが原則なのである。

 箱男は、箱に入ると背丈が低くなっている。歩くときもその高さである。すると腰をかがめているということになり、これは腰に悪いのではないかと思った。また、箱の中は案外広いようであるが、段ボール箱は、それほど大きなものではなく、そんなに空間があるのかなと疑問に感じた。

【見ることと見られること】

 箱男は、見られずに見るということに特化している。見るということは、光が感覚器に入ってそれを映像化するという受動的な働きであるが、なぜか攻撃性があるのである。

 考えてみるに、見るということは、相手の情報を取るということである。情報があるとそれだけ優位に立つことができる。それを動物に置き換えると、狩ることができるということである。逆に見られるということは、狩られるということである。だから、動物では擬態をしたりして、相手に見られないようにする(そういえば、箱男も顔に迷彩模様をペイントしていた)。アメリカ人でさえ、たいていの人は人前で話すのが苦手なんだそうである。視線にされされるというのは、無条件に緊張を強いるものなのだ。そう考えると、敏感で不安定な若者たちが、「見た」「見ない」で喧嘩を始めるというのも、致し方ないことか。

 支配者は、自分の姿を見られずに、見ようとする。ジョージ・オーウェルの『1984年』でもそのような世界が描かれていた。ここ日本でも、いつの間にやら街には防犯カメラが張り巡らされるようなった。むしろ、防犯カメラがない場所の方が珍しいくらいである。

 人は見る側に回りたいと望む。それを簡単に実現させてくれるのが、スマートフォンである。小説の中で、主人公はラジオから流れて来るニュース中毒になり、ニュースを聴くことがやめられなくなったという話が出て来る。これは、ちょうど、スマホのニュースを次々と検索してしまう人と同じである。小説の中では、主人公は、ニュース一つ一つに興味があるわけではなく、まだ最後のニュースではないことを確認して、自分がまだ生きていることを確かめずにはいられない。情報が得られるとなると、人はそれに依存してしまう性質があるのだろう。優れた作品には、予見性があるということか。

【書くことと書かれること】

箱男」のもう一つの主題は書くことである。小説では、主人公が書いた手記が並べられて進んでいき、次第に現実の世界のか、箱男がノートに書いた空想の話なのか分からない感じになり、書き手もニセ箱男のニセ医者に変わったりするなど、ややこしくなっている。箱男が書く(記録する)という行為に執着するのは、書くことで世界を理解しようとしたのだろうか。しかし箱男はニセ医者から、すべて妄想に過ぎないと指摘されてしまう。小説を書くことは、何もないところに言葉だけで世界を作り上げることである。阿部公房は、小説家だけに、小説を書くこと自体について書こうとしたものであろうか。

【箱とは何か】

 箱は、我々が身に付けている鎧みたいなものだろう。箱男とニセ箱男箱男の座を巡って闘う場面がある。箱に入ったままで闘うのは動きにくく、こっけいでもある。箱から出た方が有利なように思えたが、箱男の主権を争っているので、箱から出たら負けということなのだろう。これは肩書を脱がないまま、権力争いをしている人々の風刺のように思える。そういえば、スーツにネクタイ姿というのは、箱を連想させる。

【本作】

 映画では、現代風にアレンジしたり、演出をつけ足したりしているところもあるが、おおむね原作に忠実に作っている。ただし、冒頭10分くらいの音量が大きすぎるのには閉口した。現代人は、ますます箱男(箱パーソン)的になっているな、などといった連想が誘発される作品ではあった。

 

箱男

★★★

 

 

 

映画「僕の家族と祖国の戦争」〜誰が悪いのか

【あらまし】

  1945年。終戦直前のデンマークのとある町。小規模な市民大学の学長一家の物語。ソ連に進行されたナチスドイツは、自国民を「難民」として、占領下の地域に移送する。デンマークには、20万人もの「難民」が連れてこられ、この町にも500人余りの人々の受け入れを強いられた。受け入れ先は、大学の体育館である。

 当初は場所を貸すだけで、一切関与しない方針だった。しかし、ドイツからは食糧や医薬品の支給もなく、狭い体育館の中で感染症も広がり、子どもやお年寄りが次々となく亡くなっていく。

 見るに見かねた学長夫妻は、こっそりと援助を始めるが、裏切り者として罵られ、レジスタンスのメンバーから襲撃される。10歳くらいの息子は、学校ではいじめに遭い、父とは距離を取るのだが‥‥

【誰が悪いのか】

 善意から人助けをした学長一家が裏切り者として迫害を受けるという気の毒な話である。とはいえ、ナチスドイツには、デンマークの人々は酷い目にあっていたのだろうし、「敵」に手を貸すべきではないというのも分かる。子どものいじめは良くないが、子どもは大人を真似るものである。

 学長一家がしたことは、人道的には良いことだったが、共同体のルールを破ったということは、裏切り行為であった。

 この場合、誰が悪い(責任を負うべき)なのか。

 まず悪いのは、ナチスドイツである。自国民を一方的に送りつけ、見殺しにしている。そもそも自国民を「難民」として、外国に押しつけるのは一体どういうことなのか。「難民」の定義からずれている気がしたが、翻訳の問題かもしれない。

 よって、ヒットラーが一番悪いということになるが、ヒットラーを支持したドイツ国民にも責任があるのかも知れない。とはいえ、避難してきた人たちは一般人であり、政治的な信条も不明で、子どもも含まれているのだから、まずは保護されるべきである。

 次に、デンマーク政府である。占領下では、ナチスドイツとの協約に従うしかなく、レジスタンスも黙認(密かに支援?)するということであっただろうが、戦後は「難民」を保護する立場であったはずである。レジスタンスの青年がドイツ人医師を射殺する場面があったが、「やられてたらやり返す」という感情は普通に起こってしまうので、それに制限をかけるのが、政府であり、法の支配ということである。

 ということで、善意のある主人公一家の勇気ある行動と無理解な地域住民の話、あるいは家族愛、親子愛の物語とするのは、やや違うのではないかという気がした。*1

 なお、原題の Når befrielsen kommeの意味は、「解放のとき」くらいの意味のようであり、邦題は、誤解を招くような気がした。

 

僕の家族と祖国の戦争

★★★

 

 

*1:個人の感想です

『虞美人草』〜華麗なる失敗作

 寝しなに『虞美人草』読んだ。長いので、二月ほどかかった。読み出すとすぐに眠気が来るので、睡眠導入剤としては優秀であった。

【登場人物】

 小野さん 大学を優秀な成績で卒業した詩人。博士論文を執筆中。孤児であり、若い頃は貧乏で、京都では孤堂先生に世話になった。今は、オシャレでチャラい感じになっている。八方美人で優柔不断な性格。藤尾と結婚したいが、孤堂先生の娘の小夜との結婚話を断れず、悩む。 

 甲野さん 哲学者。大学卒業後、定職に就かず、ブラブラしている。相続した遺産を妹の藤尾に譲って、出家しようしている。

 宗近 大学を出て、外交官試験に挑戦しているが、不合格ご続いている。豪快な人情味のある性格。甲野さんとは、親類で友人。

 藤尾 すごい美人。気位が高く、自己中心的で、我が強く、クレオパトラになぞらえられる。遺産をもらって、小野さんと結婚する計画を立てている。

 孤堂先生(井上孤堂)  元々東京の出身だが、長年京都で暮らしていた。何かの先生で、弟子が何人かいる。妻に先立たれ、一人娘の小夜と二人暮らし。病身。小夜を小野と結婚させるために上京する。

 小夜子 孤堂先生の一人娘。美人だが、大人しく、控えめな性格。琴を弾くのが趣味。父親の世話をしている。

 糸子 宗近の妹。丸っこい顔と手の持ち主。性格は良い。甲野さんが好きである。

 藤尾の母 藤尾と一緒になって、甲野さんが貰った遺産の横取りを狙っている。世間体を気にして、口と腹が違い、甲野さんを苛立たせる。謎の女と称される。

 宗近の父 引退した老人。鷹揚な人物。 

 甲野の父 元外交官で外国で客死した。登場はなし。

 浅井 孤堂先生の弟子の一人。デリカシーゼロの人物。端役で登場するだけ。

【ストーリー】

①甲野さんと宗近が京都旅行をする。比叡山に登る。宿屋の部屋から女性(小夜子)が琴を弾くのが見える。

②小野さんは藤尾に英語を教えている。クレオパトラの話を読む。

③孤堂先生と小夜子は、上京する。甲野さんたちと同じ汽車になる。小野さんは、孤堂先生と小夜子を出迎えて世話をする。

④宗近の父と藤尾の母は、藤尾と宗近を結婚させることで合意する。

⑤甲野さん、藤尾、宗近、糸子の四人で博覧会を見に行く。ちょうど、小野さんの案内で、孤堂先生と小夜子も来ていて、藤尾に気づかれる。

⑥小野さんは小夜子と一緒にいたところ藤尾に見られていたことを知り、あせる。孤堂先生からは、小夜子と結婚するように催促される。

⑦藤尾は藤尾の母に小野さんと結婚する意思を伝え、二人で遺産を横取りする相談をする。甲野さんは、遺産を藤尾に譲って家を出ると言うが、藤尾の母は口ではそれを止める。

⑧宗近は、外交官試験に合格する。自分は藤尾と結婚し、甲野さんと糸子を結婚させようとする。しかし、糸子や甲野さんに言われて、藤尾との結婚はやめにする。

⑨小野さんは、藤尾と結婚することを決意して、孤堂先生に小夜子との結婚を断ろうとする。自分では言えないので、同門の浅井に金を貸すことを条件に、孤堂先生に縁談を断ることを伝えるように頼む。浅井は気楽に引き受け、そのままを孤堂先生に話し、孤堂先生の怒りを買う。

⑩宗近は、小野の所に行き、「真面目になれ」と言う。小野は小夜子と結婚する決心をし、藤尾との約束をすっぽかす。

⑪甲野の家に主な登場人物が集まる。約束をすっぽかされた藤尾は怒って帰ってくる。宗近は、藤尾に小夜子を「小野の将来の妻」と紹介する。唖然とする藤尾に、小野は「真面目な人間になるから、許してください」と言う。藤尾は、宗近も藤尾と結婚する気がないこと突き付けられ、卒倒して死ぬ。

【陳腐な話】

 細部は色々と展開しているが、大筋は上記のとおりである。テーマは相続と結婚問題で主人公は優柔不断な男である。テーマ的には、「こころ」など他の作品とも共通するところはあるが、どの人物にも深みがなく、最後に悪役の藤尾が死んで、めでたしめでたし、で終わっていて、なんじゃこりゃという読後感であった。藤尾は性格が悪いのかもしれないが、何も殺さなくても良いのではと思える。なお、藤尾はショック死したのか、毒をあおって自殺したのかはよく分からない。卒倒した場面の次の章の冒頭に「我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた」と書かれているだけだからである。

【読みにくい】

 全部で19章あるが、甲野さんと宗近の会話で始まる第1章を除いて、章の始めには文語調の長い解説が入る。これが読みにくい。そしてほとんど不要である。たとえば、第2章の始めは次のとおり。

紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝を冴々と菫に刻んで、細き金脚にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威を作すは、春にいて春を制する深き眼である。この瞳を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵寰に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着ている。

 これは、藤尾の登場場面である。いかかでしょう。藤尾が超絶美人ということを表現しているようだが、「はあ?」と言う感じである。こういう描写や哲学的思念、文明批評などがところどころに挿入される。とにかく読みにくく眠気を催す。漱石に教養があるがゆえに、余計に面倒なことになっている。

【なぜこれを書いたのか】

 『虞美人草』は、漱石が大学を辞めて、朝日新聞社の専属作家となった第一号の作品である。元帝大の先生が作家になり、新聞連載小説を書くというので、世間では評判となり、デパートでは「虞美人草ゆかた」や「虞美人草指輪」が売られ、新聞の号外が出たとのこと。*1

 漱石朝日新聞から、給料制で好きな小説を好きなだけ書いて良いという条件で入社していて、自由な創作が許される立場であった*2。とはいえ、入社第一作目で新聞連載となるからには、期待に沿おうとしたのだろう。張り切っていたのである。

  当時の朝日新聞は、東京山の手に住むインテリ層の男性をターゲットにし始めた。その旗印として白羽の矢を立てられたのが漱石であった。*3

 漱石は、自分の読者が役所や会社勤めの忙しいサラリーマンで、普段は小説など読む暇のない人々だと考えていた*4。だから、知的レベルが高いが、文学には疎い人々に受けるように、高尚のようで中身は昼ドラのような小説を書いたものだろうか。

 漱石の作品は、再読するのが面白いのだが、さすがにこれを読み返すことはないだろうと思った。眠れないときにも、他に読む本はある。

 なお、虞美人草とは、ヒナゲシのことである。漱石の花好きは、こんなところにも表れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:新潮文庫版の解説より

*2:漱石の『入社の辞』より

*3:漱石と日本の近代』 石原千秋 新潮選書

*4:漱石は『硝子戸の中』でそういうことを書いている。

佐川美術館〜さざなみの美術館

   佐川美術館は、滋賀県守山市の琵琶湖畔にある。宅急便で有名な佐川急便の創業40周年記念事業の一環として開館された。

 「湖畔に佇むように建つ、こぢんまりとした美術館」を想像していたのだが、訪れてみると、意外と大きかった。湖畔ではあるが、湖に面しているのではなく、古代の倉庫を思わせる近代的な平屋の建物が二棟並んでいて、その周りが池のように水が張り巡らされている。

意外と大きかった。切妻造りの二棟の建物。


 9時半の開館に合わせて行ったが、さほど待っている人はおらず、カップルや家族連れなど20人くらい。予約制であらかじめチケットを買っていたので、スマホの画面を見せて入場する。なお、駐車場は無料である。

 入り口までの回廊は、池に面していて、佐藤忠良蝦夷鹿の像などが出迎えてくれる。

 エントランスホールを入ると、佐藤忠良の女性像が三体展示されている。

 平屋で地下一階がある。一階の展示室は三部屋あり、内二部屋は、佐藤忠良平山郁夫の作品が常設展示されている。残り一部屋は展覧会の会場、地下1階には陶芸家の樂直入作の茶器の展示室がある。そのほか、カフェ、ショップなど。別に茶室もあるが、観れる日が決められている。

 当日は、髙山辰雄展が開催されていた。

 髙山辰雄は、大分県の出身。1912年生まれ。旧制中学卒業後、親の反対を押し切って、東京美術学校(現東京芸大日本画科に入学。その後、力をつけて首席で卒業。卒業制作は、大学買い上げとなる。その後は、落選が続いた時期もあったが、ゴーギャンを知り、その影響を受ける。その後活躍し、東山魁夷らと並んで、「三山」と称される。聖家族などの作品に取り組み、晩年は生命をテーマにした母子像などを描く。2007年没(95歳)。

 展覧会は、髙山辰雄のキャリアに沿って、若い頃の作品やゴーギャンの影響が強い時期、故郷の大分の風景を描いたもの、静物画、聖家族のシリーズ、晩年の母子像などがテーマごとに展示されていた。

 卒業制作の作品「砂丘」は、砂浜で女学生が座っているというもので、色鮮やかで細部にわたって詳細に描かれている。首席で卒業となり、学校買い上げとなった作品。若いころから技量が優れていたことが分かる。

 年代やテーマごとに追っていくと、絵を志した一人の若者がまずは技量を身に付け、自分の表現を模索して成功し、最後には自分の表現したいものを描いたという軌跡が読み取れる。髙山辰雄の生涯のテーマは、生きることや生まれること、母と子といったものにあるようであった。表現はだんだんとシンプルになり、様式化されていく。男性はほとんど登場せず、女性と子どもが中心であった。

 次に佐藤忠良の展示室を見る。「彫刻家のアトリエ」展ということで、佐藤忠良のアトリエを紹介する展示であった。

 佐藤忠良も、1912年生まれである。はじめは絵画を志したが、ロダンやマイヨールに感銘を受けて彫刻家となった。東京美術学校を卒業して、日常生活に見える人間の美を追求した作風で知られる。2011年没(99歳)。

 彫刻(塑像)の主なモチーフは、人間である。人の姿を似せて作る。佐藤忠良の場合は、服を着たり、帽子を被ったものもあるが、基本的に裸体であり、ほとんどが女性の裸体である。素人目には、ポーズは違えど似たように見えるのだが、作り続けるからには、追究すべき何かがあるのだろう。佐藤忠良は、長年の間、アトリエに入るとコーヒーを飲んで制作をはじめ、一日を終えると寝るといった規則正しい生活を続けていた。

 芸術家や作家、学者など優れた仕事を残した人は、案外、規則正しい日課を送っていることが多い。*1

 結果、佐藤忠良も多くの素晴らしい作品を残し、晩年まで元気で長生きした。なお、絵本の『おおきなかぶ』の挿絵を描くなど、絵本も残している。

 疲れてきたので、休憩。中庭には浅い池になっていて、常にさざ波が起こるようになっている。日の光がさざ波に揺れて、美しい。

水をたたえた中庭

 カフェでサンドイッチとコーヒーをとる。セットで1,300円。サンドイッチはボリュームがあり、おいしかった。

 平山郁夫の展示室に入る。平山郁夫の生涯や画業が作品とともに紹介されている。平山郁夫東京美術学校日本画科の出身。東京芸大助手、助教授、教授、学長と順調にキャリアを積み上げた人である。初期は玄奘三蔵をテーマにした『仏教伝来』を描き、それがシルクロードにテーマが広がり、ユーラシア大陸や東南アジアの各地を旅して、多数の作品を描いている。風景画が多い。発掘調査隊に同行したり、遺跡の保存に携わり、教育者でもあり、多方面で活躍した人である。

 展示は、本格的に描かれた作品と、スケッチ風の線描に色を付けた作品があり、後者の方は親しみが持てた。

 最後に地下に降りる。降りたところがロビーとなっていて、壁面に地上の池のさざ波が映るようになっている。幻想的である。

 

さざ波が映る壁

 地下は、樂直入という、代々続く樂家の十五代目の陶芸家の作品が展示されている。茶室のような構成の暗い部屋に茶器が宝石のように浮かんでいた。

 滞在時間約2時間。時期ごとに展示の入れ替えがあり、定期的に企画展も開催されている。静かに過ごすには、良い場所であった。

 

 

 

 

 

*1:「天才たちの日課」クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブではない日々 メイソン・カリー著 フィルムアート社

映画「ボレロ」〜音楽に呑み込まれた作曲家の生涯

 作曲家ラヴェルの生涯を「ボレロ」作曲のエピソードを中心に描いたもの。

 ラヴェルと言えば、「ボレロ」と「亡き王女のためパヴァーヌ」くらいしか知らず、豪快な中にも叙情的な感性を持ち合わせた人物というイメージだったが、実は繊細で神経質な人であったと知った。映画の中では、「旋律はどうでもいいから、指定通りのテンポで演奏しろ」みたいなことを言っていて、テンポへのこだわりが強い。完璧主義なのか、一曲を作るのに何年もかけていた。

 ラヴェルは「ボレロ」を作るのも大変苦労した。斬新な音楽が出来上がり、バレエの振り付けともマッチして大成功。ただし、ラヴェル自身は、扇情的なダンスが気に食わなかった。ラヴェルとしては、機械化が進んだ文明のカタストロフといったものを表現したかったようだ。成功したのは思いの外で、ラヴェルと言えばボレロとなってしまい、生涯付いて回ることになって、それに苦しめられる。

 俳優にある役柄のイメージが付いてしまい、それに苦しめられるということはよくある。たとえば、植木等と言えば「無責任男」でだが、本当は責任感の強い人だった。歌手でも作家でも作曲家でも似たようなことはあるだろう。

 ラヴェルは、音楽の才能がありすぎ、繊細すぎてかなり生きづらかったようである。音楽と結婚したとか言って、生涯独身であったし、長年の恋人は人妻で、相手から誘われてもキスすらしなかった。

 病気で作曲ができなくなっても、頭の中では音楽が鳴り響いていたという。才能があり過ぎるのも考えものである。

 本作は、ボレロの誕生の時期を中心に、回想シーンが順不同に挿入されていて、予備知識がないと分かりにくい。靴にこだわりがあるらしいラヴェルが靴を忘れるシーンが何度かあったが、あれは何だったのだろう。

 クラッシック好きで、ラヴェルに興味のある方は、見て損はない作品。

 

ボレロ

★★★

 

 

 

 

 

映画「風が吹くとき」~善良な市民が核戦争に巻き込まれたら

【あらまし】

  1986年制作のイギリスのアニメーション映画。第二次世界大戦から40年後。イギリスの片田舎の一軒家で年金暮らしをする夫婦が核戦争に巻き込まれるなりゆきを描く。

 夫は、図書館で新聞を読み、まもなく核戦争が始まると知る。政府発行のパンフレットを持ち帰り、書かれている通りに自宅の中に核シェルターを作る。食料や水を用意したところで、ラジオから敵国の核ミサイルが3分後に到達するというニュースが流れる。

 いそいそと自作のシェルターに隠れる二人。そこに物凄い光と熱、轟音が。

 数日後にシェルターから出てきた二人が目にしたのは、瓦礫と残骸の荒れ果てた世界。どうにか日常を取り戻そうとするが、水道は止まり、ラジオも聞こえず、電話も通じない。やがて水も尽き、吐き気や頭痛がして、身体に異変が現れる。それでも二人は、政府からの救助が来るのをひたすら待つのであった‥‥

【危機感】

  今から、37年前。この時期は、米ソが軍拡競争を繰り広げた冷戦時代。戦争が起こることへの危機感が強かったのだろうか。

 核戦争にどれだけ近づいているかを知る、終末時計というものがあったことを思い出して、見てみた。すると、この翌年に核軍縮条約が締結されたことで、6分前に戻り、その後、冷戦の終結ソ連の崩壊で、17分前まで戻っている。なんと現在、ロシアのウクライナ侵攻などで90秒前と今までで最も進んでいる。

 これ自体に科学的な根拠は乏しいともされ、核戦争だけでなく、気候変動や新型コロナウイルスの蔓延なども考慮されている。とはいえ、核爆弾が使われる可能性は高まっているのに、普段あまりそれを考えることはない。

 先日、NHKのドキュメンタリーで、85歳の被爆者の女性がアメリカの田舎町に行き、講演をして人々と対話をするというものを見た。アメリカの人々が普通に「広島のことなど聞いたことがない」「原爆投下で多くの命が救われた」「抑止力には核が必要」と言っているのを見て、えっと思った。また、その女性との対話を経て、人々の考えが変わっていく様子に、心が動かされた。

 どんなきっかけでも良いので、関心を持ち、話し合うということが重要である。

【善良な市民】

 このイギリス人の夫妻は、最後まで政府を信じている。心配性の妻に対して、夫はできるだけ物事を楽観的に見ようとする。政府に対する信頼感の強さは、「ゆりかごから墓場まで」と言われた、イギリスの手厚い社会福祉制度が背景にあるのだろうか。

 夫妻は、ナチスドイツは敵だと思っているが、スターリンルーズベルトには親しみを抱いている。第二次世界大戦防空壕に隠れたことなどは、楽しい思い出になっていて、核シェルターも同じ感覚で作っている。

 最後まで信じ切っているゆえに、状況が絶望的となり、だんだんと弱っていく姿を見るのは、切ないものがあった。

 衝撃的なシーンがなく、柔らかいアニメーションだけに、伝わりやすいところもあるようだ。

 

風が吹くとき

★★★

 

 

 

 

『草枕』〜非人情の芸術論

 スマホを忘れた日、カバンの中に入っていた『草枕』を読んだら、案外面白かった。それで、入浴中にちょびちょび読んで、短い話なので、ニ遍読んだ。『草枕』は入浴中に読むのがちょうど良い。

 『草枕』にストーリーはない。漱石自身、ただ美しい感じが読者の頭に残れば良い、と述べている。*1

 三十歳を過ぎたくらいの画家が、山の中の田舎の温泉宿にやってくる。山の中だが海が見える土地である。熊本県の小天温泉がモデルという。*2

 画家は、画題を探している。温泉宿に行くまでの道中で、つらつら考え事をする。それが有名なあの一節である。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 画家は、芸術というものは、生きにくい世の中を生きやすくするもので、そのためには感情移入せず、対象と距離を取らなくてはならない、と考えている。それをこの温泉宿で実践しようとするのである。それを称して、非人情という。

 夜更けに宿に着いた画家は、迷路みたいな宿の中を案内され、不思議な一夜を過ごす。その宿には、出戻りのお嬢さん(那美)がいて、イタズラを仕掛けてくる。

  望まない結婚をして、離縁して戻ってきた那美は、奇矯な振る舞いが目立ち、おかしくなったと噂されている。

 画家が帳面に書いた俳句を、留守の間に書き換える。画家が温泉に入っていると、後から入ってくる。少なくとも暇なようだ。

 ちなみに、那美と混浴する場面では、那美の裸体が描写されている。しかし、漢語が駆使され、抽象的な描写が続き、何のことやらよく分からない。

 那美が画家の部屋に遊びに来ると、画家は英語の小説を読んでいる。どんな話かと聞かれて、適当に開いたページを読んでいるだけだと答え、それが非人情の読み方だと言う。そして、那美に頼まれて、適当なページを日本語訳して読む。そのとき、小さな地震が起こり、二人は一瞬身を寄せ合うのだが、あくまで非人情をつらぬく。

 この画家は、絵を描くだけではなく、漢詩も作れば、俳句も作る。英語の小説をすらすら読み、英詩をそらんじる。凄い教養の持ち主である。絵画論を述べつつ、小説論も展開し、恋愛や世間のゴタゴタを題材にする西洋の芸術や文学を批判して、世間から離れた東洋的な芸術の方に軍配を上げる。

 とにかく、『草枕』は漢文を駆使した流麗な文体で綴られていて、見た目は美しいけれども、会話文以外は、何が書いてあるのか分かりにくいところが多い。そのためか脚注がやたら多く、本文が174ページなのに、脚注だけで35ページもある。*3

 所々、面白い箇所もある。

 床屋での元江戸っ子の親方とのやり取りは、落語のようである。

 エッセイみたいなところもあり、西洋料理は味はともかく見た目はダメだが、和食は見るだけで食べなくてもお金を払う価値があるとか言う。特にようかんの肌合いを褒める。

 画家は、ただあちこちぶらぶらして、色々考え事をするだけである。宿の主人の茶席に呼ばれて、茶道具を干渉する。禅寺で和尚と話す。池のほとりで、水面に浮かぶ那美の表情をどう描くかをあれやこれやと思念する。

 ドラマがないわけではない。那美の元夫は落ちぶれて満州に行く。那美の従兄弟の久一さんは、戦争に出征する。それらの人間ドラマも画家は非人情の目で観ている。そして、最後に元夫を見送った那美の表情に「憐れ」が浮かんだとき、画業が成就したことを悟る。

 この小説自体、非人情の作品である。だから、どこから読んでもいいし、どこでやめてもよい。風呂場で読むのがぴったりなゆえんである。

 

 

 

*1:余が『草枕

*2:ちなみに小天温泉には「那古井館」という温泉旅館がある。

*3:新潮文庫